画像引用元 : 戦国七雄-Wikipadia 戦国七雄
- 周は政治の混乱から都を移し、東周となった。
- 戦国時代には諸侯が争い、諸子百家と呼ばれる思想家が活躍した。
- 秦の統一により春秋戦国時代が終わった。
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年号
前770~221年
周の衰退と春秋戦国時代の解説
周の衰退
紀元前770年、それまで中国を治めていた周は都を鎬京から洛邑へと移します。これは国内貴族の反乱の結果によるものであり、周の権威は失われます。遷都した後の周を指して東周と呼びます。
戦国の七雄
周の力が弱まると、次の覇者を決めるために有力な諸侯が次々に覇者の名乗りを挙げます。中でも特に強力だった秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国は戦国の七雄と呼ばれました。また諸侯だけでなくこの時代には多数の思想家が活躍しました。諸子百家と呼ばれるこうした思想家たちは各国の諸侯のもとを回り自らの教えを述べ、中国思想の基礎を築き上げました。徳のある支配者が天下を治めるべきであるとする孔子の儒教や自然にしたがって生きることをよしとする荘子・老子の道教などが有名です。
乱世の終わり
春秋戦国時代は紀元前221年、戦国の七雄の一つに数えられた秦の始皇帝が他の六国を倒したことにより終わりを迎えます。
一問一答
Q.諸子百家の時代の思想家で、法家に数えられる人物を一人挙げよ
A.韓非など