中華民国の成立と辛亥革命

中華民国の成立とその性質

画像引用元 : 孫文-Wikipedia 孫文

  • 中国は産業革命後のヨーロッパに敗れ、植民地化していった。
  • 植民地状態から脱するために孫文が辛亥革命を起こしたが、混乱は続いた。
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年号

1912年~

中華民国の成立と辛亥革命の解説

中華帝国の終わり

中国は近代に入るまで、強大な力を持つ中華帝国として東南アジア一帯に属国を持ち、朝貢貿易圏を築いていました。しかしヨーロッパが産業革命を経て力をつけると中国はなすすべなく敗れ、その後進性が露呈したことから列強の植民地分割の対象となります。イギリスを筆頭にドイツやロシア、日本などが租界を置いていく中で、中国を中華民族の手に取り戻そうという、民族主義の運動が起こりました。孫文らによる臨時政府の、辛亥革命です。

辛亥革命の動乱

孫文がスローガンとして掲げたのは、民族主義、民権主義、民生主義からなる三民主義でした。すなわち孫文はこの革命を単なる民族国家建設に向けた運動に終わらせるのではなく、その過程で社会福祉の充実した民主国家を完成させることまでを視野に入れていたのです。結果として出来上がった中華民国はアジアで初の共和国となりました。しかしその後も内戦が続き、大戦に至るまで政局が安定することはありませんでした。

一問一答

Q.南京国民政府を創立したのは誰か。
A.蒋介石

参考

中華民国-Wikipedia

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