- 日本で女性初の天皇となった
- 厩戸王(聖徳太子)と蘇我馬子の補佐を得て長期間政治を執った
女性初の天皇
推古天皇は飛鳥時代に即位した日本初の女性天皇です。この当時中国は隋が興り、朝鮮半島では新羅・高句麗・百済の三国時代でした。それまでの中国や朝鮮半島でも女性が天皇や皇帝になる前例はないため、推古天皇は東アジアで最初の女帝でもあります。推古天皇の在位中に、聖徳太子は604年に「十七条憲法」をそして603年に「冠位十二階」を制定し、607年に「遣隋使」を派遣しました。
なぜ天皇になったのか
推古天皇は欽明天皇の皇女であり、異母兄である敏達天皇の妃になりました。(当時の豪族や皇族では異母兄弟間の結婚が多くありました。)敏達天皇との間に竹田皇子達が生まれましたが、彼らは敏達天皇が亡くなった時点では幼かったため皇位に就くことはできませんでした。未成年の子どもが即位するようになるのは平安時代からであり、この時代はまだ幼年で即位は出来ないのが慣例でした。また、皇位は嫡男ではなく弟へ継承されることも多かったのです。事実、敏達の異母弟で推古の同母弟にあたる用明天皇が即位しましたが、まもなく病死し、この時も用明天皇の子である厩戸王(聖徳太子)が未成年であったため次は用明天皇の弟が即位しました。しかし592年には崇峻天皇も蘇我馬子によって暗殺されてしましました。そこで敏達天皇の子である竹田皇子の即位を考える蘇我馬子は、その中継ぎとして推古天皇を即位させることにしたのです。
即位後の政治
推古天皇が即位した時、政治の実権は叔父の蘇我馬子が握っていました。推古天皇は甥である厩戸王(聖徳太子)を摂政に任命し、蘇我馬子と皇族勢力の均衡を保つようにしました。
一問一答
Q.推古天皇の政治を助けた豪族と皇族を一名ずつ挙げよ。
A.蘇我馬子と聖徳太子
参考文献
浜島書店『新詳日本史』
同志社大学『日本史学史講義』2004年 笠井昌昭 著