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征夷大将軍の意味
征夷とは、遠征して夷を制圧するという意味です。律令下、朝廷に従って国に帰属している国民以外を差別して「東夷・南蛮・西戎・北狄」と呼んでいたのですが、これらの人々の反乱を抑え、朝廷に帰属させることを目的に派遣された軍を率いるのが大将軍です。このうち陸奥地方に派遣されたのが征夷大将軍でした。和銅2年(709)年、巨勢麻呂が初の東夷の制圧を命じられ、そののち、奈良時代の養老4年(702)には多治比縣守が征夷大将軍に任命されています。
蝦夷を制圧した征夷大将軍
律令制度における征夷大将軍の中で最もよく知られているのが坂上田村麻呂です。平安初期の延暦16年(797)に征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂は当時朝廷に従わなかった蝦夷たちを率いていたアテルイを捕えて京へ連行し、朝廷の東北支配に大きく貢献しました。
中世以降の征夷大将軍
征夷大将軍はもともと東北支配における軍の司令官のような役職でしたが、やがて東北に派遣されることがなくなって形式的なものへと変化していき、建久3年(1192)に源頼朝が征夷大将軍に任命されて以降は幕府の総責任者であり武士の最高権力の象徴としての意味合いで任命されるようになりました。そして鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府の最高権力者は天皇によって征夷大将軍(将軍)に任命されるのが慣習となりました。明治時代に政府が征夷大将軍の役職を廃止するまで、千年以上の間に約60人が任命されました。