高句麗のはじまりから終わりと周辺諸国との関係

高句麗の興亡と周辺諸国との関係

画像引用元 : 高句麗-Wikipedia 高句麗の最大版図

  • 高句麗は広開土王の時代に朝鮮半島の大半を征服した。
  • 高句麗は倭との交流を持ち、漢からは楽浪郡、帯方郡を奪った。
  • 高句麗は百済と組んで新羅に対するも、唐の支援を受けた新羅に敗れた。
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年号

前37~668年

高句麗のはじまりから終わりと周辺諸国との関係の解説

高句麗の成立

朝鮮半島に700年の歴史を持つ高句麗は、もともと漢の支配下にありました。漢が土地を放棄すると朱蒙がここに高句麗の国を興したとされています。その後、広開土王の時代に入ると朝鮮半島の大半を征服します。

漢・倭との関係

高句麗と倭は5世紀まで敵対関係にありました。しかし6世紀以降は関係が改善され、仏教関係を中心に文化交流を始めます。一方で大帝国であった漢に対しては楽浪郡、帯方郡を奪い取るなど挑戦的な姿勢を見せています。

高句麗の滅亡

高句麗が支配できなかった朝鮮半島南部から様々な国が発生し、やがて朝鮮半島は百済、新羅、高句麗の三国鼎立状態となります。高句麗は百済と結んで新羅と戦いますが、新羅は唐の支援を受け、白村江の戦いで百済を倒します。孤立した高句麗は唐に降伏し、滅亡しました。

一問一答

Q.高句麗の建国者は誰か。
A.朱蒙

参考

高句麗-Wikipedia

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