「ヨーロッパの火薬庫」サラエボ半島とナショナリズム

「ヨーロッパの火薬庫」サラエボ半島とナショナリズム

画像引用元 : サラエボ事件-Wikipedia サラエボ事件

  • フランス戦争以来、自由主義的な運動が各地で起こっていた。
  • バルカン半島は独立を求める民族が一か所に押し込められており、不満が募っていた。
  • サラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発した。
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年号

20世紀前半

「ヨーロッパの火薬庫」サラエボ半島とナショナリズムの解説

ナショナリズムのおこり

ナショナリズムのおこりはフランス革命にまでさかのぼります。王権の打倒による国民国家の樹立とナポレオンの遠征は新時代の到来を告げ、各地で「諸国民の春」と呼ばれる自由主義的な動きが起こりはじめます。

バルカン半島の事情

ナショナリズムの流れはやがて一つの民族が一つの国家を持つべきだ、という民族国家の流れと合流します。多くの民族が押し固められていたバルカン半島では独立を求める各民族の不満が募っており、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれていました。

避けられなかった大戦

やがて不満は爆発し、セルビア人によるオーストリア皇太子暗殺事件であるサラエボ事件が起こります。オーストリアがセルビアに宣戦を布告すると両陣営には様々な国が加勢し、第一次世界大戦に発展しました。

一問一答

Q.サラエボ事件で暗殺されたオーストリア皇太子は誰か。
A.フランツ・フェルディナント

参考

サラエボ事件-Wikipedia
ナショナリズム-Wikipedia

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