羽柴秀吉とは?名前の改名の由来

  • 秀吉は農民出身のでありながら大出世した。
  • 1582(天正10)年、織田信長に仕え、本能寺の変による信長の死後に、秀吉は天下統一を果たした。

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大出世した秀吉

豊臣秀吉といえば、農民から関白・太政大臣までのぼりつめた日本史上屈指の出世人ととして有名です。家柄も後見もない中で、自らの知恵と才能で織田信長に取り立てられ、織田家の家臣の中でどんどん出世していきました。更に本能寺の変で信長が亡くなった後は、その後継の座を勝ちとり、天下統一を果たすのです。

羽柴の由来

秀吉は初め木下藤吉郎という名で、出世していくにつれて名を改めました。木下よりも武将らしい名をということで羽柴秀吉を名乗るようになりました。羽柴というのは、織田信長の家臣の中でも有力な武将であった丹羽長秀と柴田勝家の「羽」と「柴」をもらった苗字です。

羽柴から豊臣へ

羽柴秀吉は、1586年に正親町天皇(おおぎまちてんのう)から豊臣という姓を賜り、以後は豊臣秀吉を名乗ります。そして天下統一の仕上げにかかっていくことになるのです。

秀吉と稲荷社の関係

秀吉の母ナカは、秀吉が小さい頃に息子の出世を祈って近所の稲荷によく参拝していました。このため、秀吉も稲荷神への信仰があつく、京都には秀吉が建てた満足稲荷社があります。秀吉は京都に聚楽第という大きな邸を造りました。その中にも鎮守社として稲荷社を建て、大出世した秀吉にちなんで出世稲荷と言う名が付けられました。 稲荷社の総社(本拠地)の京都伏見稲荷の大きな楼門も秀吉の寄進によるもので、現在も境内の正面にのこっています。

一問一答

Q.秀吉の出身地はどこか
A.尾張国(今の愛知県東部は三河国)

参考

浜島書店『新詳日本史』
NHK番組『歴史秘話ヒストリア~お稲荷さん~』より

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