飛鳥文化について

  • 7世紀前半の推古天皇の頃の文化
  • 我が国初の仏教文化。飛鳥地方を中心に現存している。
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我が国初の仏教文化

6世紀中ごろに仏教が伝来し、日本で初めて仏教文化が花開いたのが7世紀前半の飛鳥文化です。推古天皇の治世下では隋へ頻繁に遣隋使が送られ、それにより東アジアに伝播していた仏教文化が日本にも伝わりました。天皇家や豪族はそれまで古墳に私財を投じていましたが、渡来人を雇って氏寺を造ることに私財を投じるようになりました。

仏像彫刻の様式は2つ

飛鳥文化の特徴は寺を中心とする仏教美術です。建築では法隆寺などの建造物、彫刻では法隆寺や広隆寺などの仏像、絵画では仏像を安置する玉虫厨子の扉絵、などのようにいずれも仏教に関するものばかりです。中でも中心となるのが仏像彫刻です。
仏像彫刻は「北魏形式」と「南朝様式」の二つに分かれます。中国では隋が建国される前、南朝と北朝に国が分かれている時代が続きました。飛鳥文化はそのそれぞれの影響を受けた仏像が制作されました。北魏の様式は顔つきが厳しく、杏仁形の目、仰月形の唇をしているのが特徴で、法隆寺の釈迦三尊像や飛鳥寺釈迦如来像などが挙げられます。一方、南朝様式は全体的に柔らかで、丸みのある曲線が特徴です。そしてどちらの様式にも共通しているのがアルカイックスマイルと呼ばれる独特なほほ笑み表情です。

国際色豊かな飛鳥文化

飛鳥文化は中国の隋からもたらされましたが、当時の隋はシルクロードを経由して遠国とも交易をしていたため、日本に入ってきた仏教文化の中にもギリシア文化などヨーロッパの影響もみられます。法隆寺の金堂の天蓋などに見られる忍冬唐草文様は、エジプトからギリシア、ペルシアへと伝わり中国から日本に伝わったと考えられます。

参考文献 

浜島書店『新詳日本史』

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