女性で唯一皇太子 孝謙天皇とは?

  • 女性で唯一皇太子になった天皇
  • 聖武天皇の娘であり、752(天平勝宝4年)東大寺の大仏開眼式(開眼供養会)などを行なった

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異例な女性立太子

孝謙天皇は、奈良の大仏(東大寺)を発願したことで有名な聖武天皇の娘として生まれました。阿部内親王と呼ばれ(安倍と表記されることもあります)、母は藤原不比等を父とする光明皇后でした。聖武天皇の光明皇后以外の側室には親王が生まれていました。光明皇后は阿部内親王の弟の基王を出産したものの、基王は一年で早世してしまい、その後は男子に恵まれませんでした。光明皇后の外戚である藤原氏は、他氏の血をひく親王が皇位継承しないために、阿部内親王を皇太子に推しました。

女性天皇の位置付け

女性が天皇になる例は推古天皇を始まりとして数例ありました。あくまでも天皇の妻や皇太子の妻が夫に先立たれたものの、皇位を引き継ぐべき男子がまだ幼い間の中継ぎとして即位する場合がほとんどで、皇太子を経ずに応急対策として即位していました。孝謙天皇の場合は女性でありながら天皇になるべく皇太子に任命される手順を踏むという異例のものでした。また、聖武天皇には安積親王という男子が生まれていたにもかかわらず、異例の女性立太子となったため、当然長屋王を中心とする皇族や他の貴族たちの反対がありました。(それをおさえこんで無理やり実現させるだけの実力が、その時期の藤原氏にあったことも物語っています。)

重祚

即位後の孝謙天皇の治世中、政治は天皇の母である光明皇太后と、その側近である藤原仲麻呂(別名は恵美押勝)によって行なわれました。父である聖武太上天皇はこの時期東大寺の毘盧遮那仏を完成させ開眼式を執り行いました。その数年後、孝謙天皇は淳仁天皇に譲位します。764(天平宝字8)年に起こった藤原仲麻呂の乱の後にこれを廃位し、再び称徳天皇として即位します。このように天皇が一度位を降りた後に再び即位する事を重祚といいます。

一問一答

Q.孝謙天皇の在位中に完成した寺院は一般に何と呼ばれているか? A.東大寺(全国にある国分寺のトップにあたるお寺です)

参考

浜島書店『新詳日本史』

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