称徳天皇の即位とその後の皇位継承

  • 孝謙天皇が一度退位した後に、再び即位し、称徳天皇となった
  • 道鏡という僧を重用し、皇位を譲ろうとして失敗した
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即位の経緯

称徳天皇は聖武天皇の娘で、日本史上唯一女性で皇太子になった人です。皇太子を経て孝謙天皇となりました。在位中は母である光明子(光明皇太后)と、その側近である藤原仲麻呂が実権を握って政治をしていました。そして在位9年で退位しました。孝謙天皇は夫を持たず独身だったため子どもはおらず、藤原仲麻呂のすすめで淳仁天皇に譲位しました。しかし、譲位した後に淳仁天皇と藤原仲麻呂が自分の意向に沿わない政治をするようになったため、この二人を排除しました。これを「藤原仲麻呂の乱」といいます。そして淳仁天皇を廃位した後に再び称徳天皇として即位しました。

歴代で二人だけの重祚天皇

天皇が退位したのちに再び天皇になることを重祚といいます。日本史史上で重祚したのは「皇極=斉明天皇」と「孝謙=称徳天皇」の二人だけで、いずれも女性天皇です。

即位後の政治

称徳天皇は道鏡という僧を重用し、自分の皇位を継承しようとしました。皇族でない者が皇位につくことを臣下に納得させるために神のお告げを利用しようとしましたが、自身が信頼していた和気清麻呂によって阻止されてしまいました。これを宇佐八幡宮神託事件といいます。

その後の皇位継承

称徳天皇は在位中に皇太子を任命していませんでした。そのため皇位継承問題が起こり、称徳天皇の異母姉の夫である光仁天皇が即位しました。光仁天皇は天智天皇の孫にあたります。天武天皇が即位して以来、その妻子・子孫が皇位を継承してきました。皇位継承が天武系皇統から天智系皇統へと転換し、時代は平安時代へと移ってゆきます。

一問一答

Q.称徳天皇の病気を治癒させたことで信任を集め、重用されたのは誰か?
A.道鏡

参考

浜島書店『新詳日本史』

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