- 戦国時代に織田信長の領地で起きた戦
- 織田信長が今川義元を破った
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桶狭間の戦い
桶狭間の戦いは1560年に尾張国で起こりました。今川義元が京都への上洛をめざして、織田信長の領地である尾張国に侵攻してきたのです。義元の軍勢は2~3万人といわれており、当時の弱小国である尾張の織田信長にとっては、かなうはずもない軍勢でした。
奇襲で討ち取る
まともな正面勝負では勝ち目がないと考えた信長は、奇襲攻撃をすることに決めました。今川義元が軍の中のどこにいるのかを調べさせ、本陣をつきとめました。そこへ少数精鋭の軍勢で攻め込み、今川義元を討ち取りました。これにより、信長は東海地方で有力な大名の一人にのしあがり、桶狭間の戦いは信長が天下統一への道を歩み始めるきっかけとなりました。
織田信長らしい論功行賞
当時の大名は自分達の家臣が合戦で手柄をあげた時に、褒美として金銭や土地を与えていました。それが家臣たちのやり甲斐になり士気の源となっていたので、厳密で公平な褒美の配分をする事が必須でした。たいていは敵の大将首を討ち取った武士が一番の褒美をもらえるというのが当時の慣習でした。信長はこの戦いにおいて一番の手柄は今川義元を討ち取った武士にではなく、今川義元がどこに本陣を置いているか、その居場所を突き止めた者に一番の褒美を与えました。首級をあげたわけでもないのに、と不平をもらす家臣たちに、「あそこに今川義元がいると分からなければ我が軍は大軍を相手に負けていた。逆にあそこに義元がいると分かれば誰でも首は討ち取れよう。」と答えたそうです。信長は情報を把握する事の重要性をよく分かっていたという一例です。
一問一答
Q.桶狭間の戦いで織田信長軍に討ち取られたのは誰か。
A.今川義元
参考
浜島書店『新詳日本史』