「三冊子:不易流行(ふえきりゅうこう)」の現代語訳(口語訳)

「三冊子:不易流行(師の風雅に)」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。

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「三冊子:不易流行」の現代語訳

 師の風雅に、万代不易あり、一時の変化あり。
先生(芭蕉)の俳諧には、永遠に(価値の)変わらない面と、時代によって変化する面とがある。

この二つにきはまり、その本もと一つなり。
この二つのいずれかに尽きるのであるが、その根本は一つである。

その一つといふは風雅の誠なり。
その一つというのは俳諧における本質のことである。

 不易を知らざれば、まことに知れるにあらず。
不易ということを知らなければ、本当に(俳諧を)知っているということにはならない。

不易といふは、新古によらず、変化流行にもかかはらず、誠によく立ちたる姿なり。
不易ということは、新しいとか古いとかに関係なく、(また)変化し流行するということにも関わりがなく、(風雅の)本質にしっかりと立脚した(俳諧の)姿のことである。

代々よよの歌人の歌を見るに、代々その変化あり。
代々の歌人の歌を見ると、時代時代(によって)作風に変化がある。

また、新古にもわたらず、今見るところ昔見しに変はらず、あはれなる歌多し。
(ところが)また、(時代の)新しいとか古いとかに関係なく、今見るところは昔の人が見たこと(感じたこと)と変わらず、趣深い歌が多い。

これまづ不易と心得べし。
これ(=趣深い歌)をまず不易と心得るがよい。

 また、千変万化するものは自然の理ことわりなり。
また、全てのものがさまざまに移り変わっていくのが自然の法則である。

変化にうつらざれば、風あらたまらず。
(俳諧も)変化して移り変わらなければ、作風が新たにならない。

これに押しうつらずといふは、一旦の流行に口つき時を得たるばかりにて、その誠を責めざるゆゑなり。
これ(=俳諧)が変化し移り変わらないということは、一時的な流行に詠みぶりがうまく乗って世にもてはやされているだけであって、その(=風雅)本質を追求しないからである。

責めず、心をこらさざる者、誠の変化を知るといふことなし。
(風雅の本質を)追求せず、心をそれに集中しない者は、本当の変化を知っているとはいえないのである。

ただ人にあやかりてゆくのみなり。
ただ人のまねをしてゆくばかりである。

責むる者は、その地に足を据ゑがたく、一歩自然に進む理なり。
(風雅の本質を)追求する者は、今の場所にとどまっていることができず、一歩自然と前進する通りである。

行く末いく千変万化するとも、誠の変化はみな師の俳諧なり。
これから先(俳諧が)どんなに変化しても、本当の変化はみな先生の俳諧(につながるもの)である。

「かりにも古人のよだれをなむることなかれ。四時しいじの押しうつるごとくものあらたまる、みなかくのごとし。」とも言へり。
「かりにも先人のまねをするようなことはあってはならない。四季が移り変わるように全てのものは新たになっていくが、(俳諧が変化していくのも)みなこのようなものである。」とも言った。

 師末期の枕に、門人、こののちの風雅を問ふ。
先生の臨終の枕もとで、門人は、先生亡きあとの俳諧について尋ねた。

師のいはく、「この道の我に出でて、百変百化す。しかれども、その境、真・草・行を離れず。その三つの中にいまだ一、二をも尽くさず。」となり。
先生が言うには、「この道(芭蕉俳諧)が自分に始まってから、多くの変化を重ねてきた。そうではあるけれど、その(変化した)範囲は、(書道における)真・草・行(の範囲)を出ていない。その三つの中でもまだ一、二をも尽くしていない。」ということである。

生前をりをりの戯れに、「俳諧いまだ俵口をとかず。」とも言ひ出でられしこと、たびたびなり。
(先生は)生前時々冗談で、「俳諧はまだ米俵の口を解かない(程度のものだ)」ともおっしゃったことが、たびたびであった。

脚注

  • 師 松尾芭蕉まつおばしょうを指す
  • 万代不易 永遠に変わらないこと。
出典

三冊子

参考

「国語総合(古典編)」三省堂
「教科書ガイド国語総合(古典編)三省堂版」文研出版

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