画像引用元 : オスマン帝国-Wikipedia スレイマン1世
- オスマン帝国はメッカを支配し、スルタン=カリフ制でイスラム世界の中心となった。
- オスマン帝国はコンスタンティノープルを攻略しヨーロッパへの足掛かりを得た。
- オスマン帝国はスルタンを廃して近代化を推し進め、植民地化を回避した。
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年号
1299~1922年
オスマン帝国の始まりから終わりまでの解説
黎明期
オスマン帝国は13世紀末、アナトリアに起こった小さな集団から始まり、徐々に西方へと勢力を伸ばしはじめます。この際にオスマン帝国はデウシルメ制という制度を取り、異教徒であるキリスト教徒を起用して当時としては珍しい銃を持った常備軍であるイェニチェリを組織しました。またメッカの実権を握り、スルタン=カリフ制のもとにイスラム世界を宗教・世俗の両側面から支配することになります。
中興期
こうした政策の甲斐あってかオスマン帝国の版図は拡大し、1453年ついに千年にわたって不落を誇ったコンスタンティノープルを陥落させます。ヨーロッパにとって東の玄関口となっていたコンスタンティノープルを落としたオスマン帝国はその後もウィーン包囲などでヨーロッパ国際社会にも影響を与えるようになります。
衰退期
近代に入ると産業革命で急速に力をつけたヨーロッパが帝国主義政策のもとに各国を植民地化していきました。オスマン帝国はこの波に乗り遅れないために大改革を行い、スルタンを廃して民主化を進めることで植民地支配を免れました。
一問一答
Q.コンスタンティノープルを攻略したオスマン皇帝は誰か。
A.メフメト2世