- 足利幕府の三代将軍で、室町幕府安泰の基礎を築きあげた。
- 南北朝統一などの政治面だけでなく文化面での活躍も覚えておこう。
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「室町」幕府の始まり
足利義満は室町幕府を開いた初代足利尊氏の孫として誕生しました。3代目の征夷大将軍となった後、京都の室町に豪華な邸を建て、そこで政治を行なったため「室町殿」と呼ばれました。室町時代の名はここから由来しています。
南北朝統一
義満の生まれ育った時代は天皇が京都の北朝と吉野の南朝に分かれて二人存在するという南北朝時代でした。互いにどちらも自らの正当性を主張して譲らず、不安定な情勢でしたが、義満はこれを1392年に統一しました。年号は「1つ(1)でみんな(3)の国(92)」と覚えておきましょう。
北山文化と金閣寺
義満は政治だけでなく文化にも深い造詣があり、特に能を愛し、観阿弥・世阿弥親子を庇護し、世阿弥が能を大成するのに大きく貢献しました。また、西園寺家から北山にある邸を譲り受け、そこに北山第とよばれる別荘を造りました。これが義満の死後に寺となり、義満の法号が鹿苑院であったことから鹿苑寺と名付けられました。金閣寺の正式名称は現在も鹿苑寺であり、金閣寺というのは金色の建物があることから呼ばれる通称です。年号は「人(1)見たくなる(1397)金閣寺」と覚えておきましょう。
日明貿易
南北朝を統一し国内が安定した後、義満が次に目を向けたのは外国でした。当時建国されて間もない明国へ遣いを送り、1404年より日明貿易が始まりました。当時海賊行為をしていた倭寇が海を荒らしていたため、遣明使船は倭寇と区別するために勘合符を用いました。このことから日明貿易は勘合貿易とも呼ばれます。
参考
浜島書店『新詳日本史』