遣隋使とは?

  • 中国の王朝隋に日本が派遣した使節団
  • 中国と対等な国交を結ぼうとしたことが特徴

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遣隋使とは

遣隋使や遣唐使など遣○使とつくものはすべて国が使者をたてて相手の国へ送る正式な外交使節団のことです。中国では581年、隋という王朝が建国されました。日本では聖徳太子が子ども時代を送っている頃です。その後、593年に日本では推古天皇が即位し、その摂政として聖徳太子が政治をとることになりました。そこで、隋の国に使いを送り、国交を結ぼうとしたのが遣隋使です。

それまでの中国との関係性の違い

弥生時代の卑弥呼や、古墳時代に倭の五王たちが中国の王朝へ朝貢することはたびたびありました。一番古い例では西暦57年に前漢の皇帝から「漢の倭の奴の国王」に任命されたという証の「漢委奴国王」と彫られた金印も福岡県から出土しています。それまでの日本の王たちは、中国王朝に遣いを出して、日本における自分の王という地位を認めてもらい保証してもらう(冊封体制)というのが主な目的でした。しかし遣隋使はそれまでのような日本での地位を中国王朝に認めてもらうというような下からの立場ではなく、皇帝と皇帝という対等の立場で国書を送った点に特徴があります。

文献史料による違い

日本書紀では607年に小野妹子が国書をたずさえて隋へわたったという記録がありますが、隋書では600年に日本から使者がきたことが記されています。このため、遣隋使の派遣された回数は正確な数字が出ませんが、618年に隋国が滅ぶまでの間に、20年弱の間に5回以上も派遣されていることが分かっています。

一問一答

Q.607年の小野妹子らの遣隋使に随行し、答礼使として来日した隋の使者は誰か。
A.裴世清(はいせいせい)

参考

浜島書店『新詳日本史』

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