「平家物語:富士川(さるほどに十月二十三日にもなりぬ。)」の現代語訳(口語訳)

「平家物語:富士川(さるほどに十月二十三日にもなりぬ。)」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。

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「平家物語:富士川(さるほどに十月二十三日にもなりぬ。)」の現代語訳

  平家の横暴ぶりに世の人々は不満を感じつつあった。 一一八〇(治承じしょう四)年八月、源頼朝みなもとのよりともは伊豆いずの国にて平家追討を掲げ挙兵した。 それを知って激怒した平清盛たいらのきよもりは頼朝を討伐すべく、三万騎を東国に派遣、源平両軍は富士川において戦うこととなった。

 さるほどに十月二十三日にもなりぬ。
そうしているうちに十月二十三日にもなってしまった。

明日は、源平富士川にて矢合やあはせと定めたりけるに、夜に入つて、平家の方より源氏の陣を見渡せば、
明日は、源氏と平家が富士川で開戦と決めたところが、夜になって、平家の方から源氏の陣営を見渡すと、

伊豆、駿河するがの人民にんみん百姓らがいくさに恐れて、あるいは野に入り山に隠れ、あるいは舟にとり乗つて、海、川に浮かび、営みの火の見えけるを、平家の兵つはものども、
伊豆、駿河の人民や百姓たちが戦を恐れて、ある者は野に逃げこみ山に隠れ、(また)ある者は船に乗って(逃げ)、海や川に浮かんでいたが、炊事などをする火が見えたので、平家の兵士たちが、

「あなおびたたしの源氏の陣の遠火とほびの多さよ。げにもまことに野も山も、海も川も、みな敵かたきでありけり。いかがせん。」とぞ慌てける。
「ああ大変な源氏の陣営の篝火の多さであるなあ。なるほど本当に野も山も、海も川も、みな敵であるなあ。どうしようか。と慌てうろたえた。

その夜の夜半ばかり、富士の沼に、いくらも群れ居たりける水鳥どもが、何にか驚きたりけん、ただ一度にばつと立ちける羽音の、大風いかづちなんどのやうに聞こえければ、
その(日の)夜の夜半頃、富士の沼にたくさん群がっていた水鳥たちが、何に驚いたのだろうか、ただ一度にばっと飛び立った羽音が、大風か雷などのように聞こえたので、

平家の兵ども、「すはや源氏の大勢の寄するは。斎藤さいとう別当が申しつるやうに、定めてからめ手もまはるらん。取り込められてはかなふまじ。ここをば引いて、尾張おはり川、洲俣すのまたを防げや。」とて、取るものもとりあへず、われ先にとぞ落ちゆきける。
平家の兵士たちは、「そら源氏の大軍勢が押し寄せてきたぞ。斎藤別当が申したように、間違いなく背後から攻める軍勢も今頃動いているだろう。包囲されたら対抗できないだろう。ここは一度引いて、尾張川、洲俣を防げよ。」と言って、何はさておき、我先にと落ちていった。

あまりに慌て騒いで、弓取る者は矢を知らず、矢取る者は弓を知らず。
あまりに慌てふためいて、弓を持つ者は矢を忘れ、矢を持つ者は弓を忘れてしまった。

人の馬には我乗り、わが馬をば人に乗らる。
他人の馬に自分が乗り、自分の馬は人に乗られる。

あるいはつないだる馬に乗って馳すれば、杭くひをめぐること限りなし。
ある者はつないである馬に乗って走ろうとすると、杭の周りをぐるぐるとめどなく回っている。

近き宿々より迎へとつて遊びける遊君遊女ども、あるいは頭かしら蹴割られ、腰踏み折られて、をめき叫ぶ者多かりけり。
近い宿から迎えて遊んでいた遊び女たちも、ある者は頭を蹴り割られ、腰を踏み折られて、わめき叫ぶ者が大勢いた。

 明くる二十四日卯の刻に、源氏大勢二十万騎、富士川に押し寄せて、天も響き大地だいぢも揺るぐほどに、鬨ときをぞ三が度、作りける。
明くる二十四日の午前六時頃に、源氏の大軍勢二十万騎が、富士川に押し寄せて、天も響き大地も揺るがすほどに、鬨の声を三度、作った。

(巻五)

脚注

  • 矢合 戦いを始める合図に、両軍が矢を射かけ合うこと。
  • 鬨 鬨の声。戦いの初めに、士気を高めるために全軍で喚声をあげること。
出典

平家物語

参考

「国語総合(古典編)」三省堂
「教科書ガイド国語総合(古典編)三省堂版」文研出版

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