「正徹物語:亡き人を恋ふる歌」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。
「正徹物語:亡き人を恋ふる歌」の現代語訳
俊成しゆんぜいの家は、五条室町ごでうむろまちにてありしなり。
俊成の家は、五条室町にあった。
定家卿ていかきやう、母におくれて後に、俊成のもとへ行きて見侍はべりしかば、秋風吹きあらして、いつしか俊成も心細きありさまに見え侍りしほどに、定家の一条京極いちでうきやうごくの家より父のもとへ、
定家卿が、母に先立たれて後に、(父の)俊成の所に行って会いましたところ、(折から)秋風が(庭を)吹き荒らして、早くも俊成も心細い様子に見えましたので、定家が一条京極の自宅から父のもとに、
たまゆらの露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風
ほんの少しの間も、露も涙もとどまることがありません。亡き人を恋しく思っている家に吹く秋風には。
と詠みて遣はされし、哀れさも悲しさも言ふ限りなく、もみにもうだる歌ざまなり。
と詠んで贈られた歌は、哀れさも悲しさも何とも言えないほど深く、身をもむような深い感慨のこもった詠みぶりである。
「たまゆら」は、しばしといふことなり。
「たまゆら」は、少しの間ということである。
末に「秋風」を置きたるまで哀れに身にしむに、「亡き人恋ふる」とあるも悲しう聞こえたるなり。
(一首の)末に「秋風」(という言葉)を置いていることに至るまでしみじみと哀感が身にしみるうえに、「亡き人恋ふる」とあるのも悲しく聞こえるのである。
俊成の返歌に、
(この歌に対する)俊成の返歌に、
秋になり風の涼しく変はるにも涙の露ぞしのに散りける
秋になって風が涼しく変わるにつけても、(亡き妻恋しさに、)涙はさながら露のようにとめどなく散ることであるよ。
とすげなげに詠めるが、何ともえ心得ぬなり。
と、そっけなさそうに詠んだのが、何とも納得できないことである。
定家は、母のことなれば、あはれにも悲しうも身をもみて詠めるは理ことわりなり。
定家は、母のことであるから、哀れにも悲しくも身をもむようにして詠んだのはもっともなことである。
俊成は、わが女房のことなり。
俊成は、自分の妻のことである。
わが身はや老体なれば、あぢきなし、悲しなど言ひては似合はねば、ただ、折、秋になり風の涼しくと、何となげに言へるが、何ともおぼえず殊勝しゆしようなり。
(また)自分自身がすでに老人なのだから、やるせない、悲しいなどと言ってはふさわしくないので、ただ、折から、秋になって風が涼しくと、何でもないように言ったところが、何とも言えないほど格別に優れている。
脚注
- 俊成 藤原俊成ふじわらのとしなり。
- 五条室町 今の京都市下京しもぎょう区五条烏丸からすまの辺り。
- 定家卿 藤原定家〔一一六二―一二四一〕。俊成の子。この時、三十三歳。
- 一条京極 今の京都市上京かみぎょう区一条寺町の辺り。
- 老体 この年、俊成七十九歳。
出典
亡き人を恋ふる歌
参考
「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 2部」あすとろ出版