本居宣長「うひ山ぶみ 」の現代語訳(口語訳)

本居宣長「うひ山ぶみ 」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。

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本居宣長「うひ山ぶみ 」の現代語訳

 いづれの品しなにもせよ、学びやうの次第も、一わたりの理によりて、云々しかしかしてよろしと、さして教へんは、やすきことなれども、そのさして教へたるごとくにして、果たしてよきものならんや、また思ひの外にさては悪しきものならんや、実まことには知りがたきことなれば、これもしひては定めがたきわざにて、実はただその人の心まかせにしてよきなり。
どの学問の分野にせよ、学び方の順序も、ひと通りの道理によって、いろいろ言ってよいと、特にこれだとはっきり教えるようなことは、簡単なことであるけれども、その特にこれと限って教えたようにして、果たしてよいものだろうか、また意外にそのようでは悪いものだろうか、本当のところはわかりにくいことであるので、これ(=学問の学び方)も無理には決めにくいことであって、本当はただその人(=学ぶ人)の心にまかせてよいことである。

 詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦まず怠らずして、励みつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかかはるまじきことなり。
要するに学問は、ただ長い年月飽きず怠けることなくて、励み努力することが大切であって、学び方は、どのようでもよいはずで、それほどこだわってはならないのである。

いかほど学び方よくても、怠りてつとめざれば、功はなし。
どれほど学び方がよくても、怠けて努力しなければ、よい結果が出ることはない。

また、人々の才と不才とによりて、その功いたく異なれども、才・不才は生まれつきたることなれば、力に及びがたし。
また、人それぞれの才能の有無によって、その結果は大きく違うけれども、才能の有無は生まれついたことなので、なんともしがたいものである。

されど大抵は、不才なる人といへども、怠らずつとめだにすれば、それだけの功はあるものなり。
しかし大方は、才能がない人といっても、怠けずに努力さえすると、それ(=努力した)だけの結果は出るものである。

また、晩学の人も、つとめ励めば、思ひの外、功をなすことあり。
また、年をとってから学問を始めた人も、努力すると、意外な結果を出すことがある。

また、暇いとまのなき人も、思ひの外、暇多き人よりも、功をなすものなり。
また、暇のない人も、意外と、暇の多い人よりも、よい結果を出すものである。

 されば、才の乏ともしきや、学ぶことの晩おそきや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて、止むることなかれ。
そうであるから、才能の乏しいことや、学ぶことが遅かったことや、暇がないことによって、気持ちがくじけて、(学問を)止めてはならない。

とてもかくても、つとめだにすれば、できるものと心得べし。
とにかく、努力さえすれば、できるものだと心得るのがよい。

すべて思ひくづをるるは、学問に大きに嫌ふことぞかし。
全て気持ちがくじけることは、学問にとってとても好ましくないことである。

出典

本居宣長 うひ山ぶみ

参考

「国語総合(古典編)」三省堂
「教科書ガイド国語総合(古典編)三省堂版」文研出版

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