「建礼門院右京大夫集:この世のほかに・悲報到来」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。
「建礼門院右京大夫集:この世のほかに・悲報到来」の現代語訳(口語訳)
「維盛これもりの三位さんみの中将、熊野くまのにて身を投げて。」とて、人の言ひあはれがりし。
「維盛の三位中将が、熊野で身を投げて(亡くなられた)。」と人々が言って気の毒がった。
いづれも、今の世を見聞くにも、げにすぐれたりしなど思ひ出いでらるるあたりなれど、
(数多い公達の)どなたも、今の世(の人々の様子)を見聞きするにつけても、(あの方は)ほんとうに優れた人だったなあなどと自然に思い出される平家一門の方々であるけれども、
際ことにありがたかりしかたち用意、まことに昔今見る中に、例ためしもなかりしぞかし。
(維盛様の)際立って他に類を見なかった容貌や心くばりは、まことに昔から今まで(多くの人々を)見る中に、例もなかったほどであったよ。
されば折々には、賞めでぬ人やはありし。
だから(改まった儀式の)折々には、(維盛様を)賞賛しない人があったであろうか。(みなが賞賛した。)
法住寺殿ほふぢゆうじどのの御賀に、青海波せいがいは舞ひての折などは、「光源氏ひかるげんじの例も思ひ出でらるる。」などこそ、人々言ひしか。
法住寺殿での(後白河法皇の五十歳の)御賀に、青海波を舞った時などは、「(『源氏物語』の主人公の)光源氏の例も自然と思い出されることだ。」などと、人々が言った。
「花のにほひもげにけおされぬべく。」など、聞こえしぞかし。
「花の美しい色艶も全く圧倒されてしまいそうだ。」などと、申し上げたことであった。
その面影はさることにて、見なれしあはれ、いづれもと言ひながら、なほことにおぼゆ。
この維盛様の(そのような特別な場合の)面影は言うまでもないことであって、ふだん(維盛様に)親しく接して心ひかれていたことは、(平家の公達は)どの方もすばらしいとは言っても、やはり(維盛様は)格別に思われる。
「同じことと思へ。」と、折々は言はれしを、
「私を(弟の資盛と)同じように思(って付き合)いなさい。」と、時々おっしゃったので、
「さこそ。」といらへしかば、
(私が)「そのように(思っております)。」と答えたところ、
「されど、さやはある。」と言はれしことなど、かずかず悲しともいふばかりなし。
「しかし、ほんとうにそう(思っているの)だろうか。(そうではあるまい。)」とおっしゃったことなど、数々のことが(思い出されて)悲しいとも何とも言いようがない。
春の花の色によそへし面影のむなしき波の下に朽ちぬる
(その昔、)春の桜の花の色にたとえられた美しい維盛様の面影が、(悲しくも今は、)むなしい波の下に朽ちてしまったことだ。
悲しくもかかるうきめをみ熊野の浦わの波に身を沈めける
悲しいことに、このようなつらい目にあって、熊野の浦の波底にわが身を沈められた維盛様であることよ。
またの年の春ぞ、まことにこの世のほかに聞き果てにし。
その翌年の春、(愛する資盛様が)ほんとうにあの世の人になったと聞いてしまった。
そのほどのことは、まして何とかは言はむ。
その時のことは、前にもまして何と言ったらよいだろうか。(全く言いようもない。)
みなかねて思ひしことなれど、ただほれぼれとのみおぼゆ。
みな前々から覚悟していたことであるが、(いざとなると)ただもう茫然とするばかりだった。
あまりにせきやらぬ涙も、かつは見る人もつつましければ、何とか人も思ふらめど、心地のわびしきとて、ひきかづき寝暮らしてのみぞ、心のままに泣き過ぐす。
あまりにせきとめかねる涙も、一方では傍らで見ている人にもはばかられるので、どうしたのかと人も思っているだろうが、気分が悪いと言って、(夜着を)ひきかぶって終日寝てばかりいて、思いのままに泣き暮らす。
いかで物をも忘れむと思へど、あやにくに面影は身にそひ、言の葉ごとに聞く心地して、身をせめて、悲しきこと言ひつくすべき方かたなし。
どうにかして忘れようと思うけれども、意地悪くも(資盛様の)面影はわが身に寄り添い、(昔、資盛様の言った)一言一言を今現に聞くような気持ちになって、身を責めさいなんで、悲しいことは(言い表そうとしても)言い尽くす方法がない。
ただ「限りある命にて、はかなく。」など聞きしことをだにこそ、悲しきことに言ひ思へ、これは何をか例にせむと、かへすがへすおぼえて、
ただ「限りある寿命のために、亡くなった。」などと聞いた場合でさえ、悲しいことだと言ったり思ったりするけれども、この資盛様の死は何を例にしたらよいのか(比べるものもない)と、繰り返し思われて、
なべて世のはかなきことを悲しとはかかる夢見ぬ人や言ひけむ
世間一般に寿命が尽きて人が亡くなることを悲しいと言うのは、このような夢としか思えないつらい目に遭ったことのない人が言ったからなのだろうか。
【建礼門院右京大夫集】
脚注
- 青海波 舞楽の曲名。
~脚注終~
出典
この世のほかに
参考
「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 1部」あすとろ出版