画像引用元 : Wikimedia Commons 1349年ストラスバーグにおけるユダヤ人虐殺
- ユダヤ教徒は東方正教世界では当初から迫害されたが、カトリック世界では十字軍の時代から差別が始まった。
- ゲットーに物理的に隔離されることでキリスト教社会の底辺として見下されるという役割を背負うことになった。
- ユダヤ人は国民国家形成の段階で少数の異物としてあぶりだされる形となった。
ユダヤ人迫害の説明
ユダヤ人とは
ユダヤ人は中世まではユダヤ教徒と同義であると考えてよく、民族・人種とするのは近代以降、国民国家が出現してからのようです。
キリスト教世界におけるユダヤ人
ビザンツ帝国ではテオドシウス2世(在位408‐450)及びユスティニアヌス1世(在位527‐565)以来ユダヤ教徒は官職に就くことができず、キリスト教徒を農奴として用いることを禁じられ、事実上農耕従事者となることができなくなりました。ヘラクレイオス(在位610‐641)に至ってはキリスト教への改宗を強制しました。 対してローマカトリックでは12世紀頃まではユダヤ教徒の信仰は保障されていたようです。しかし、12世紀末から13世紀、十字軍によって宗教的熱狂が煽られる時期になると、教会はユダヤ教徒とキリスト教徒が親しい交わりを持つこと、またユダヤ教徒が何らかの支配をキリスト教徒に及ぼすことを禁じます。これにより、事実上農耕も手工業も不可能となり、地中海貿易からも排除されていきます。また、この時代以降ユダヤ教徒が泉に毒を入れるなどといった風説が流布されるようになり、それを根拠にユダヤ教徒が殺害されることもありました。教会はこうした風説を無根拠として非難していましたが、15世紀になるとスペインを中心として異端審問が活発化し、教会自ら直接ユダヤ人狩りに加担するようになります。最終的にユダヤ教徒はゲットーへ強制隔離されることとなり、キリスト教社会の底辺に位置する身分として固定されることとなりました。
近代におけるユダヤ人
近代に成立した国民国家において、ユダヤ人は常に国内にいる少数の異物でした。国民国家はそれぞれ彼らを同化することで消失させようというのが支配的傾向といえます。 特にドイツでは中世以来の差別観が、近代文明と資本主義の中で生活していく上で発生していく、特に中間層の経済的・思想的不安と結びつくことで増幅され、ユダヤ人が負の感情をぶつける対象として設定されていき、政治運動にまでつながりました。国民意識を文化と伝統、そして血の同一性により規定しようとする傾向が強かったことも一因でしょう。ナチスはこの風潮を煽り立て、反ユダヤ主義のデマゴギーを中間層・農民・労働者を獲得・動員するために利用しました。これが、ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺、ホロコーストにつながっていきます。
一問一答
Q.ユダヤ人を強制隔離した居住区をなんというか。 A.ゲットー
参考
平凡社「世界大百科事典 第2版」