「源氏物語:若紫・北山の垣間見(日もいと長きに、つれづれなれば〜)〜前編〜」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。
また、後編は「源氏物語:若紫・北山の垣間見(尼君、髪をかき撫でつつ〜)〜後編〜」の現代語訳(口語訳)になります。
「源氏物語:若紫・北山の垣間見〜前編〜」の現代語訳
三歳で母桐壺きりつぼの更衣こういと死別した男皇子おのこみこは、臣籍に降下して光源氏ひかるげんじと呼ばれるようになった。光源氏は、その後入内じゅだいしてきた藤壺ふじつぼの宮が亡き母に似ていると聞いて、いつしか思慕するようになった。
だが、父桐壺の帝みかどの后きさきである藤壺の宮への愛は、思うにまかせぬものであった。十八歳の春のこと、光源氏は、北山きたやまの聖ひじりのいる山寺に瘧病わらわやみ(一定の周期で起こる熱病)の祈祷きとうに出かけていく。祈祷の合間に、その寺の近くで小柴垣こしばがき(雑木で編んだ垣根)に囲まれた風情のある住まいを見かけ、興味を覚える。
日もいと長きに、つれづれなれば、夕暮れのいたう霞かすみたるにまぎれて、かの小柴垣のもとに立ち出いで給たまふ。
日もたいへん長いうえに、なすこともなくて所在ないので、夕暮れのたいそう霞んでいるのに紛れて、(光源氏は)あの小柴垣のところにお出かけになる。
人々は返し給ひて、惟光これみつの朝臣あそんとのぞき給へば、ただこの西面にしおもてにしも、持仏ぢぶつ据ゑ奉りて行ふ、尼なりけり。
供人たちはお帰しになって、惟光の朝臣と(小柴垣の内を)おのぞきになると、ちょうどこの(目の前の)西に面した部屋に、持仏を安置申し上げてお勤めをする、(それは)尼なのであったよ。
簾すだれ少し上げて、花奉るめり。
簾を少し巻き上げて、花をお供えするようである。
中の柱に寄りゐて、脇息けふそくの上に経を置きて、いと悩ましげに読みゐたる尼君、ただ人びとと見えず。
中の柱に寄りかかって座って、肘掛けの上にお経を置いて、ひどくだるそうに読経している尼君は、並の身分の人とは見えない。
四十余よばかりにて、
四十過ぎぐらいで、
いと白うあてに痩せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪のうつくしげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかな、とあはれに見給ふ。
たいそう色が白く気品があって痩せているけれども、頬の様子はふっくらとしていて、目もとの辺りや、髪が可憐な感じに切りそろえられている端も、かえって長いものよりも格別に当世風で気がきいているものだな、と(光源氏は)しみじみ心ひかれてご覧になる。
清げなる大人二人ばかり、さては、童わらはべぞ出で入り遊ぶ。
こぎれいな年配の女房が二人ほど、そのほかに、(召し使いの)女の子が出入りして遊んでいる。
中に、十ばかりにやあらむと見えて、白き衣きぬ、山吹やまぶきなどのなれたる着て、走り来たる女子をんなご、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えて、うつくしげなるかたちなり。
その中に、十歳ばかりであろうかと見えて、白い下着に、山吹襲(の上着)などで体になじんでいる上着を着て、走ってきた女の子は、大勢見えていた子どもたちと比べようもなく、たいそう将来の美しさが感じられて、見るからにかわいらしい顔立ちである。
髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。
髪は扇を広げたようにゆらゆらとして、顔は(泣いた後らしく)手でこすってひどく赤くして立っている。
「何ごとぞや。童べと腹立ち給へるか。」とて、尼君の見上げたるに、少しおぼえたるところあれば、子なめりと見給ふ。
「何事ですか。子どもたちとけんかをなさったのですか。」と言って、尼君が見上げている顔立ちに、(その子と)少し似ているところがあるので、(女の子は尼君の)娘であるようだと(源氏の君は)ご覧になる。
「雀すずめの子を犬君いぬきが逃がしつる、伏籠ふせごのうちに籠めたりつるものを。」とて、いと口惜しと思へり。
「雀の子を犬君が逃がしてしまったの、伏籠の中に閉じ込めておいたのに。」と言って、たいそう残念だと思っている。
このゐたる大人、「例の、心なしの、かかるわざをしてさいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづ方へかまかりぬる、いとをかしうやうやうなりつるものを。烏からすなどもこそ見つくれ。」とて立ちて行く。
そこに座っていた(先ほどの)年配の女房が、「いつものように、うっかり者(の犬君)が、こんな不始末をしてお叱りを受けるなんて、ほんとうに困ったことですね。(雀は)どちらへ参りましたでしょうか、ほんとうにかわいらしくだんだんなってきていたのに。鳥などが見つけたら大変です。」と言って立って行く。
髪ゆるるかにいと長く、めやすき人なめり。
髪がゆったりとしてたいへん長く、見苦しくない人のようだ。
少納言の乳母めのととぞ人言ふめるは、この子の後ろ見なるべし。
少納言の乳母と人が呼んでいるらしい(この)人は、この子の世話役なのであろう。
尼君、「いで、あな幼や。言ふかひなうものし給ふかな。おのがかく今日明日におぼゆる命をば、何とも思おぼしたらで、雀慕ひ給ふほどよ。罪得うることぞと常に聞こゆるを、心憂く。」とて、
尼君は、「ほんとうにまあ、なんと幼いこと。子どもっぽくていらっしゃることよ。私のこのように今日明日にもと思われる命を、何ともお思いにならないで、雀なんかを追いかけていらっしゃるとは。(生き物を捕らえるのは)仏罰を被ることになりますよ、といつも申し上げていますのに、情けないこと。」と言って、
「こちや。」と言へば、ついゐたり。
「こちらへ(いらっしゃい)。」と言うと、(女の子は)膝をついて座った。
つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪かんざし、いみじううつくし。
顔つきが実にかわいらしくて、眉の辺りが(眉毛を抜いていないために)ぼんやりと煙って、あどけなく(髪を)かき上げている額の様子、髪の生えぐあいが、たいそう愛らしい。
ねびゆかむさまゆかしき人かな、と目とまり給ふ。
成長していく様子を見届けたい人だなあ、と目がとまりなさる。
さるは、限りなう心を尽くし聞こゆる人に、いとよう似奉れるが、まもらるるなりけり、と思ふにも涙ぞ落つる。
それというのも実は、このうえもなく心を込めて思慕申し上げるお方に、たいへんよく似申し上げていることが、思わず見つめる(理由な)のであった、と思うにつけても涙がこぼれる。
脚注
- 惟光 光源氏の乳母子めのとごで、腹心の部下。
- そがれたる 肩の辺りで切りそろえられている髪の毛。尼そぎという。
- 大人 年配の女房。
出典
若紫わかむらさき
参考
「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 1部」あすとろ出版