「俊頼髄脳:鷹狩りの歌(あられ降る交野のみのの狩衣濡れぬ)」の現代語訳(口語訳)

「俊頼髄脳:鷹狩りの歌(あられ降る交野のみのの狩衣濡れぬ)」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。

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「俊頼髄脳:鷹狩りの歌(あられ降る交野のみのの狩衣濡れぬ)」の現代語訳

  霰あられ降る交野かたのの御野みのの狩衣かりごろもれぬ宿貸す人しなければ
霰の降る交野の御野では、蓑の借り衣もなく狩衣が濡れてしまった。濡れないための宿を貸してくれる人もいないので。

  濡れ濡れもなほ狩り行かむはし鷹の上毛うはげの雪をうち払ひつつ
濡れに濡れてもやはり狩りを続けていこう。はし鷹の上毛に降りかかる雪を払いのけながら。

 これは、長能ながたふ、道済みちなりと申す歌詠みどもの、鷹狩りを題にする歌なり。
これは、長能、道済と申し上げる歌詠みたちの、鷹狩りを題にして詠んだ歌である。

ともによき歌どもにて、人の口に乗れり。
ともによい歌々であって、世間の評判になっていた。

かの人々、我も我もと争ひて、日ごろ経けるに、なほこのこと今日切らむとて、ともに具して四条大納言のもとにまうでて、
その人々(長能と道済)は、我も我も(自分の歌の方が優れている)と争って、日々を過ごしてきたのだが、やはりこのことは今日決着をつけようと思って、いっしょに連れ立って四条大納言のもとに参上して、

「この歌二つ互ひに争ひて、今にこと切れず。いかにもいかにも判ぜさせ給たまへとて、おのおの参りたるなり。」と言へば、
「この歌二首(の優劣)を互いに争って、いまだに決着がつかない。どのようにでもどのようにでも判定なさってくださいと思って、各自参上したのだ。」と言うと、

かの大納言、この歌どもをしきりにながめ案じて、「まことに申したらむに、おのおの腹立たれじや。」と申されければ、
その大納言は、この歌々を何度も口ずさみ考えて、「本当に(優劣を)申し上げたとしたら(その時は)、おのおの方腹を立てられないだろうか。」と申し上げなさったので、

「さらに、ともかくも仰せられむに、腹立ち申すべからず。その料に参りたれば、すみやかに承りて、まかり出でなむ。」と申しければ、
(長能と道済は)「決して、どのようにおっしゃられたとしても、腹を立て申し上げるはずがない。そのために参上したので、早々に承って、退出いたそう。」と申し上げたので、

さらばとて申されけるは、「『交野の御野の』といへる歌は、振る舞へる姿も文字もんじ遣ひなども、まことにおもしろく、はるかに勝りて聞こゆ。しかはあれども、もろもろのひが事なり。鷹狩りは、雨の降らむばかりにぞ、えせでとどまるべき。霰の降らむによりて、宿借りてとまらむは、あやしきことなり。霰などは、さまで狩衣などの濡れ通りて惜しきほどにはあらじ。『なほ狩り行かむ』と詠まれたるは、鷹狩りの本意ほいもあり、まことにもおもしろかりけむとおぼゆ。歌がらも優にてをかし。撰集せんじふなどにも、これや入らむ。」と申されければ、
それではといって(四条大納言が)申し上げなさったのは、「『交野の御野の』といっている歌は、表現効果を意識して詠まれた歌のさまも言葉の用い方や続け具合なども、本当に趣があり、ずっと優れて聞こえる。そうではあるけれども、多くの間違い(があるの)である。鷹狩りは、雨が降るようなぐらいで、できなくて中止になるはずがあろうか。霰が降るようなことによって(鷹狩りを中止し)、宿を借りて休むようなことは、おかしなことだ。(また、)霰などは、それほどまで狩衣などが濡れ通ってもったいないというほどではないだろう。『なほ狩り行かむ』と詠んでいらっしゃるのは、鷹狩りの本来あるべき趣もあり、(鷹狩りの)実情としても楽しかったであろうと思われる。歌の格調も優美で風情がある。勅撰和歌集などにも、これ(この歌)が入るのではないだろうか。」と申し上げなさったので、

道済は、舞ひ奏でて出でにけり。
道済は、(喜んで)舞を舞って(舞うようにして)退出した。

脚注

  • 交野 今の大阪府枚方ひらかた市と交野市にまたがる野。皇室の狩猟場だった。
  • 狩衣 狩衣かりぎぬ。「狩」に「借り」を掛ける。
  • 歌がら 歌の格調。
  • 撰集 ここでは勅撰和歌集のこと。
出典

鷹狩たかがりの歌

参考

「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 2部」あすとろ出版

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