「芭蕉:富士川」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。
「芭蕉:富士川」の現代語訳
貞享じょうきょう元年〔一六八四〕四十一歳の秋、芭蕉は門人千里ちりを伴って江戸を立ち、東海道を上って帰郷の旅に出発した。
次の文章は、その折のものである。
富士川の辺ほとりを行くに、三つばかりなる捨子すてごの哀れげに泣くあり。
富士川のほとりを行くと、三歳ぐらいの捨て子で悲しそうに泣いている子がいる。
この川の早瀬にかけて、うき世の波をしのぐにたへず、露ばかりの命待つ間まと捨て置きけん。
この川の(人目の多い渡し場の)流れの速い浅瀬に(子どもの身を)託して、(親は)このつらい世の荒波をしのいでいくことができず、露ほどの(はかない)命(が尽きるの)を待つ間(だけは)と(思って)捨て置いたのであろう。
小萩こはぎがもとの秋の風、今宵こよひや散るらん、明日やしをれんと、袂たもとより喰物くひもの投げて通るに、
小萩(のような幼子)の辺りに吹く秋風に、(か弱い命は)今宵のうちに散るだろうか、明日にはしおれるだろうかと(あわれに思って)、袂から食べ物を(取り出して)与えて通り過ぎる時に、
猿を聞く人捨子に秋の風いかに
猿のなく声(に悲痛な思い)を感じてきた詩人たちよ、(泣き叫ぶ)捨て子に吹く秋風(の悲痛さ)を何と(受け止めるのか)。
いかにぞや、汝なんぢ、父に悪にくまれたるか、母にうとまれたるか。
どういうわけか、おまえは、父に憎まれているのか、(それとも)母に嫌われているのか。
父は汝を悪むにあらじ、母は汝をうとむにあらじ。
(いや、)父はおまえを憎むのではあるまい、母はおまえを嫌うのではあるまい。
唯ただこれ天にして、汝が性のつたなきを泣け。
ただこれは天命であって(どうしようもないことなのだから)、おまえの生まれつきの運命の不運を泣け。
【野ざらし紀行】
出典
富士川ふじがは
参考
「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 2部」あすとろ出版