「堤中納言物語:このついで」の現代語訳(口語訳)

「堤中納言物語:このついで」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。

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「堤中納言物語:このついで」の現代語訳

 春雨の降るある日、中宮の御前おまえで薫き物ものを薫くついでに、物憂ものうげに休まれている中宮のお側近くで、中宮付き女房の、中将ちゆうじようの君、中納言の君、少将の君の三人が、それぞれ見聞きしたことを物語っていく。

 「ある君達きんだちに、忍びて通ふ人やありけむ、いとうつくしき児ちごさへ出で来にければ、
「ある姫君に、こっそり通う男がいたのだろうか、とてもかわいらしい子どもまでできたので、

あはれとは思ひ聞こえながら、きびしき片かたつ方かたやありけむ、絶え間がちにてあるほどに、
(男は姫君を)いとしいとはお思い申し上げながら、手厳しい本妻がいたのであろうか、(姫君のもとへの訪れが)途絶えがちであった頃に、

思ひも忘れず、いみじう慕ふがうつくしう、時々は、ある所に渡しなどするをも、
(子どもが父を)思うことも忘れず、たいそう慕うのが(男には)かわいく、時々は、(男の)住む家に連れ帰りなどするのも、

『今。』なども言はでありしを、ほど経て立ち寄りたりしかば、
(姫君は)『(子どもを)そろそろ(返してほしい)。』などとも言わないでいたが、しばらく経って(男が姫君のもとへ)立ち寄ったところ、

いとさびしげにて、めづらしくや思ひけむ、かき撫でつつ見ゐたりしを、
(子どもは)とても寂しそうで、(久しぶりに会った父を)珍しく思ったのであろうか、(男は子どもを)撫でながらずっと見ていたが、

え立ちとまらぬことありて出づるを、ならひにければ、
(男は姫君のもとに)居続けることができない事情があって出(ようとす)るのを、(子どもが、男の家に連れて行ってもらうのが)習慣になっていたので、

例のいたう慕ふがあはれにおぼえて、しばし立ちとまりて、
いつものようにたいそう慕うのがかわいそうに思われて、しばらく立ち止まって、

『さらば、いざよ。』とて、かき抱きて出でけるを、
『それでは、さあ(お父さんと行こう)。』と言って、(子どもを)抱きかかえて出ていったのを、

いと心苦しげに見送りて、前なる火取りを手まさぐりにして、
(姫君は)とてもつらそうに見送って、前にある香炉を手先でもてあそんで、

こだにかくあくがれ出でば薫き物のひとりやいとど思ひこがれむ
子どもまでもがこのように(あなたに)ついて出ていってしまえば、薫き物の火取りという言葉どおり一人でいっそう恋い焦がれることになるのでしょう。

と、忍びやかに言ふを、屏風びやうぶの後ろにて聞きて、いみじうあはれにおぼえければ、児も返して、そのままになむゐられにし、と。」
と、ひそやかに言うのを、(男は)屏風の後ろで聞いて、とてもいとしいと思われたので、子どもも返して、(男も)そのまま(姫君のもとに)おとどまりになった、と(いうことだ)。」

  中納言の君が、清水きよみず寺で遭遇したはかなくあわれな女のことを話し終えると、次に少将の君が語り出す。

 「をばなる人の、東山ひんがしやまわたりに行ひて侍はべりしに、しばし慕ひて侍りしかば、あるじの尼君の方に、いたう口惜しからぬ人々のけはひ、あまたし侍りしを、
「(私の)おばである人が、東山辺りで仏道修行をしておりました時に、(私も)しばらく後を追って行っておりましたところ、主人である尼君の(部屋の)ほうに、たいそうりっぱな人々の気配が、たくさんしておりましたが、

まぎらはして、人に忍ぶにやと見え侍りしも、隔ててのけはひのいと気高う、ただ人とはおぼえ侍らざりしに、ゆかしうて、ものはかなき障子の紙の穴かまへ出でて、のぞき侍りしかば、
(誰かを大勢に)紛らわせて、人目につかないようにしているのだろうかと見えましたけれども、(物を)隔てての(そちらのほうの)様子がとても高貴で、普通の身分の人とは思われませんでしたので、(どんな方なのか)知りたくて、ちょっとした障子の紙の穴を作り出して、のぞきましたところ、

すだれに几帳きちやう添へて、清げなる法師二、三人ばかりすゑて、いみじくをかしげなりし人、几帳のつらに添ひ臥して、このゐたる法師近く呼びて、もの言ふ。
簾(のそば)に几帳を添えて(立てて)、けがれのない清浄な僧を二、三人ほど座らせて、たいそう美しい(女の)人が、几帳のそばで物に寄りかかって楽な姿勢をとって、この(そこに)いる僧を近くに呼んで、何かを言っている。

何ごとならむと聞き分くべきほどにもあらねど、
何事であろうと聞き分けられるほど(の距離)でもないけれど、

尼にならむと語らふ気色にやと見ゆるに、法師やすらふ気色なれど、
(その女の人は)尼になろうと(僧に)相談している様子であろうかと見えるが、僧はためらう様子であるけれど、

なほなほせちに言ふめれば、『さらば。』とて、几帳のほころびより、櫛くしの箱の蓋に、たけに一尺ばかりあまりたるにやと見ゆる髪の、筋、裾つき、いみじううつくしきを、わげ入れて押し出だす。
やはりなおしきりに言うようなので、(僧も)『それでは。』と言って、几帳の隙間から、櫛の箱の蓋に、身長より一尺ほど余っているのであろうかと見える髪で、毛筋、裾の形など、たいそう美しいのを、曲げ入れて押し出す。

傍らに、いま少し若やかなる人の、十四、五ばかりにやとぞ見ゆる、髪、たけに四、五寸ばかりあまりて見ゆる、薄色のこまやかなる一襲ひとかさね、掻い練りなど引き重ねて、顔に袖を押し当てて、いみじう泣く。
(その女の人の)そばに、もう少し若い人で、十四、五歳ぐらいであろうかと見え、髪が、身長に四、五寸ほど余っていると見える人が、薄紫色の上品な単襲、練り絹の衣などを重ねて着て、顔に袖を押し当てて、ひどく泣く。

おととなるべしとぞ推し量られ侍りし。
(女の人の)妹であろうと(自然に)推測されました。

また、若き人々二、三人ばかり、薄色の裳引き掛けつつゐたるも、いみじうせきあへぬ気色なり。
さらに、若い女房たちが二、三人ほど、薄紫色の裳を引き掛け(て着)ながら座っているのも、ひどく(涙を)こらえきれない様子である。

乳母めのとだつ人などはなきにやと、あはれにおぼえ侍りて、扇のつまにいと小さく、
乳母のような人などはいないのだろうかと、しみじみ気の毒に思われまして、(私は)扇の端にとても小さく、

  おぼつかな憂き世背くは誰たれとだに知らずながらも濡るる袖かな
気がかりなことです。つらい世を背いて出家するのは誰かということさえ(私には分からないのですが、)分からないながらも、(もらい泣きの涙で)袖が濡れることです。

と書きて、幼き人の侍るしてやりて侍りしかば、このおととにやと見えつる人ぞ書くめる。さて取らせたれば、持て来たり。書きざまゆゑゆゑしう、をかしかりしを見しにこそ、くやしうなりて。」など言ふほどに、
と書いて、女童で(そばに)いましたのに命じて(歌を)贈りましたところ、この妹であろうかと思われた人が(返歌を)書くようである。そして(女童に)与えたので、(その者が私のところへ)持ってきた。(その返歌の)書きぶりが風格があり、趣があったのを見たので、悔やまれて。」などと言っているうちに、

上、渡らせ給たまふ御おほん気色なれば、まぎれて、少将の君も隠れにけりとぞ。
帝が、(こちらのほうに)いらっしゃるご様子なので、(その騒ぎに)紛れて、少将の君も(どこかに)隠れてしまったという(ことである)。

脚注

  • 君達 ここでは姫君。
  • 火取り 香炉。
  • 掻い練り 練り絹の衣。
出典

このついで

参考

「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 2部」あすとろ出版

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