「方丈記:日野山の閑居」の現代語訳(口語訳)

「方丈記:日野山の閑居」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。

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「方丈記:日野山の閑居」の現代語訳

 すべて、あられぬ世を念じ過ぐしつつ、心を悩ませること、三十余年なり。
総じて、生きにくいこの世を耐え忍んで暮らしてきて、心を悩まし続けていたこと、三十年余りである。

その間、折々のたがひめ、おのづから短き運を悟りぬ。
その間、その時々の挫折によって、自然と(自分の)不幸な運命を悟った。

すなはち、五十いそぢの春を迎へて、家を出でて、世を背けり。
そこで、五十歳の春を迎えて、出家し、世を捨てて仏道に入った。

もとより妻子なければ、捨て難きよすがもなし。
もともと妻子がいないので、捨てにくい縁者もいない。

身に官禄くわんろくあらず、何につけてか執しふをとどめむ。
自分には官位も俸禄もないので、何に対して執着を残そうか。(執着するものは何もない。)

むなしく大原おほはら山の雲に臥して、また五返いつかへりの春秋はるあきをなむ経にける。
(こうして出家はしたものの)何らなすところもなく大原山の山中に住んで、更に五年の歳月を経過してしまった。

 ここに、六十むそぢの露消えがたに及びて、さらに末葉すゑばの宿りを結べることあり。
さて、六十歳という露の(ようにはかない)命も消えそうになる頃に及んで、改めて(余生を託す)晩年の住まいを作ったことがある。

いはば、旅人の一夜いちやの宿を作り、老いたる蚕の繭を営むがごとし。
たとえて言えば、旅人がただ一夜の宿を作り、年老いた蚕が(こもるための)繭を作るようなものだ。

これを中ごろの住みかに並ぶれば、また百分ひやくぶが一に及ばず。
この家を人生半ばの(三十歳を過ぎた)頃に住んでいた家と比べると、(その家の)また百分の一にも及ばない。

とかく言ふほどに、齢よはひは歳々としどしに高く、住みかは折々に狭せばし。
あれこれ言っているうちに、年齢は一年ごとに高くなり、住む家は移るたびに狭くなる。

その家のありさま、世の常にも似ず、広さはわづかに方丈、高さは七尺がうちなり。
今度の家の様子は、世間一般の家とは少しも似ず、広さはやっと一丈四方で、(棟の)高さは七尺に足りない。

所を思ひ定めざるがゆゑに、地を占めて作らず。
定住の場所を決めたわけではないので、敷地を自分のものとして所有しては作らない。

土居つちゐを組み、打覆うちおほひを葺きて、継ぎ目ごとに掛金かけがねを掛けたり。
土台を組み、簡単な屋根を葺いて、(材木の)継ぎ目ごとに(つなぎ止めの)掛け金を掛けてある。

もし心にかなはぬことあらば、やすくほかへ移さむがためなり。
もし気に入らないことがあったら、容易によそへ移動しようと思うからである。

その改め作ること、いくばくのわづらひかある。
この家を建て直すことに、どれほどの面倒があるだろうか。(何の面倒もない。)

積むところわづかに二両、車の力を報ふほかには、さらにほかの用途ようどういらず。
(家の資材を)車に積むとわずか二台分であり、車で運搬する報酬を払う以外には、全く他の費用はいらない。

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