今、日野山の奥に跡を隠して後、東ひんがしに三尺あまりの廂ひさしをさして、柴しば折りくぶるよすがとす。
今、日野山の奥に隠れ住んでから、(この庵の)東側に三尺余りの廂を差し出して、(その下を炊事用の)柴を折って燃やす所とした。
南、竹の簀子すのこを敷き、その西に閼伽棚あかだなを作り、北に寄せて、障子さうじを隔てて阿弥陀あみだの絵像を安置あんぢし、そばに普賢ふげんをかき、前に法華経ほけきやうを置けり。
南側は、竹の簀子を敷いて、その西(の端)に閼伽棚を作って、(室内は)北側に寄せて、障子を隔てて阿弥陀仏の絵像を安置し、そのそばに普賢菩薩を描い(たものを掛け)て、前に法華経を置いてある。
東の際に蕨わらびのほとろを敷きて、夜の床ゆかとす。
東の端に蕨のほとろを敷いて、寝床とする。
西南にしみなみに竹の吊棚つりだなを構へて、黒き皮籠かはご三合を置けり。
西南に竹の吊棚をこしらえて、黒い皮籠三つを置いてある。
すなはち、和歌、管絃くわんげん、往生要集わうじやうえうしふごときの抄物せうもつを入れたり。
これには、和歌、管弦、往生要集などの抜き書きを入れている。
傍らに、琴、琵琶びはおのおの一張を立つ。
そのそばに、琴、琵琶それぞれ一張ずつを立ててある。
いはゆる折琴をりごと、継琵琶つぎびはこれなり。
いわゆる折琴、継琵琶がこれである。
仮の庵いほりのありやう、かくのごとし。
仮住まいの庵の様子は、このようである。
その所のさまを言はば、南に懸樋かけひあり。
その(方丈の庵のある)場所の様子を述べると、南に懸樋がある。
岩を立てて水をためたり。
岩を組み立てて水をためている。
林の木近ければ、爪木つまぎを拾ふに乏ともしからず。
林の木々が近くにあるので、薪にする小枝を拾うのに不自由はない。
名を音羽おとは山といふ。
(その土地の)名を音羽山という。
まさきの葛かづら、跡埋うづめり。
まさきの葛が、道を覆い隠している。
谷しげけれど西はれたり。
谷は木が茂っているけれども西の方は見晴らしがよく開けている。
観念のたよりなきにしもあらず。
一心に西方浄土を思い願う手がかりがないというわけでもない。
春は藤波を見る。
春は波のように揺れる藤の花を見る。
紫雲のごとくして、西方ににほふ。
(それは阿弥陀仏の来迎の際にたなびくという)紫の雲のようで、西方に美しく咲く。
夏は郭公ほととぎすを聞く。
夏はほととぎす(の鳴く声)を聞く。
語らふごとに、死出しでの山路を契る。
(ほととぎすが)鳴くたびに、冥土の道案内をしてくれるように頼む。
秋はひぐらしの声、耳に満てり。
秋はひぐらしの声が、耳に満ちあふれる。
うつせみの世を悲しむほど聞こゆ。
(その声は)はかないこの世を悲しんでいるように聞こえる。
冬は雪をあはれぶ。
冬は雪をしみじみと見る。
積もり消ゆるさま、罪障にたとへつべし。
(雪が)積もったり消えたりする様子は、(人間の)罪障(が生じたり消えたりする様子)にたとえることができるにちがいない。
脚注
- 露 はかない命のたとえ。
- 方丈 一丈四方。一丈は、約三メートル。
- 普賢 普賢菩薩ぼさつのこと。
- 法華経 妙法蓮華経。仏教の経典の一つ。
- 抄物 抜き書きしてまとめた書。
- 継琵琶 柄を取り外しできるようにした琵琶。
出典
日野山ひのやまの閑居
参考
「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 1部」あすとろ出版