「平家物語:忠度の都落ち(薩摩守忠度は、いづくよりや帰られたりけん〜)〜前編〜」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。
また、後編は「平家物語:忠度の都落ち〜後編〜」の現代語訳(口語訳)になります。
「平家物語:忠度の都落ち(薩摩守忠度は、いづくよりや帰られたりけん〜)〜前編〜」の現代語訳
鎌倉の源頼朝みなもとのよりともと呼応して、平家打倒の挙兵をした源義仲よしなかは、北陸の合戦で平家軍を破り、都に攻め上ってきた。平家一門は西国さいごくで再起を図ろうとし、安徳あんとく天皇を主君としておしいただき、都落ちを決意して、それぞれに都での生活に別れを告げた。寿永じゅえい二年〔一一八三〕七月のことであった。
薩摩守さつまのかみ忠度は、いづくよりや帰られたりけん、
薩摩守忠度は、(都落ちする途中の)どこからお戻りになったのであろうか、
侍五騎、童一人わらはいちにん、わが身ともに七騎とつて返し、五条三位俊成卿ごでうのさんみしゆんぜいのきやうの宿所におはして見給たまへば、門戸を閉ぢて開ひらかず。
侍五騎と、童一人と、自分と合わせて七騎で(都へ)引き返し、五条三位俊成卿の邸にいらっしゃってご覧になると、(邸は)門戸を閉めて開かない。
「忠度。」と名のり給へば、「落人おちうど帰り来たり。」とて、その内騒ぎ合へり。
「忠度(が参上しました)。」とお名のりになると、「落ち武者が戻ってきた。」と言って、邸内(では人々が)騒ぎ合っている。
薩摩守馬より降り、自ら高らかにのたまひけるは、
薩摩守は馬からおり、自分で声高くおっしゃったことには、
「別べちの子細候さうらはず。三位殿に申すべきことあつて、忠度が帰り参つて候ふ。門かどを開かれずとも、この際まで立ち寄らせ給へ。」とのたまへば、
「(私が参上したのに)特別の事情はございません。三位殿にお願い申し上げたいことがあって、忠度は戻って参ったのでございます。門をお開きにならないにしても、(せめて)この(門の)そばまでお立ち寄りください。」とおっしゃると、
俊成卿、「さることあるらん。その人ならば苦しかるまじ。入れ申せ。」とて、門を開けて対面あり。
俊成卿は、「(戻ってこられたのには)しかるべき事情があるのだろう。その人ならば差し支えはないだろう。お入れ申し上げよ。」と言って、門を開けて(忠度と)ご対面になる。
ことの体てい何となうあはれなり。
その場の様子は全てにわたってしみじみとした感じがする。
薩摩守のたまひけるは、
薩摩守がおっしゃったことには、
「年ごろ申し承つて後、おろかならぬ御事に思ひ参らせ候へども、この二、三年は、京都の騒ぎ、国々の乱れ、しかしながら当家の身の上のことに候ふ間、疎略そらくを存ぜずといへども、常に参り寄ることも候はず。君すでに都を出いでさせ給ひぬ。一門の運命はや尽き候ひぬ。撰集せんじふのあるべきよし承り候ひしかば、生涯の面目に、一首なりとも御恩をかうぶらうど存じて候ひしに、やがて世の乱れ出できて、その沙汰なく候ふ条、ただ一身の嘆きと存ずる候ざうらふ。世静まり候ひなば、勅撰の御沙汰候はんずらん。これに候ふ巻物のうちにさりぬべきもの候はば、一首なりとも御恩をかうぶつて、草の陰にてもうれしと存じ候はば、遠き御守りでこそ候はんずれ。」とて、
「長年和歌のご指導をいただいて以来、(和歌の道を)いいかげんなことではないと思い申しておりますけれども、この二、三年は、京都の騒ぎや、(地方の)国々の乱れ(が起き)、(それらが)全て我が平家の身の上のことでございますので、(和歌の道を)おろそかにはいたさないというものの、いつも(ご指導を受けに)参上することもございませんでした。主上(=安徳天皇)は既に都をお出ましになりました。(平家)一門の運命はもはや尽きてしまいました。勅撰和歌集の編集があるだろうということを承りましたので、(私の)生涯の名誉に、一首だけでも(あなた様の)ご恩情をこうむろうと思っておりましたのに、たちまち世の乱れが起こって、撰集のご下命がございませんことは、ただもう(私)一身にとっての嘆きと思っております。世(の乱れ)が収まりましたならば、勅撰集のご下命がございましょう。(その折には)ここにあります巻物の中にそうするのにふさわしい歌がございましたならば、一首だけでもご恩情をこうむって(入集させていただき)、死後の世でもうれしく存じましたならば、遠いあの世から(あなた様を)お守りいたしましょう。」と言って、
日ごろ詠みおかれたる歌どもの中に、秀歌とおぼしきを百余首、書き集められたる巻物を、今はとてうつ立たれける時、これを取つて持たれたりしが、
日頃詠みおかれた歌の中で、秀歌と思われる歌を百余首、書き集めなさった巻物を、もはやこれまでと(都を)出発なさった時に、これを取って持っていらっしゃったが、
鎧よろひの引き合はせより取り出でて、俊成卿に奉る。
(それを)鎧の引き合わせから取り出して、俊成卿に差し上げる。
【巻第七】
脚注
- 君 安徳あんとく天皇〔一一七八―一一八五〕。
- 撰集 勅撰和歌集の編集。
出典
忠度ただのりの都落ち
参考
「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 1部」あすとろ出版