「和泉式部日記:有明の月に」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。
和泉式部日記:有明の月に」の現代語訳
小舎人童こどねりわらわの仲介によって逢瀬おうせを遂げた後、帥宮そちのみやと女の関係は紆余曲折うよきょくせつを経る。長保ちょうほう五年〔一〇〇三〕八月、女が石山寺へ参籠すると、文のやりとりが活発になった。
九月二十日あまりばかりの有明の月に御目おほんめ覚まして、いみじう久しうもなりにけるかな、あはれ、この月は見るらむかし、人やあるらむ、と思おぼせど、
陰暦九月二十日過ぎ頃の有明の月(が残る夜明け)に(帥宮は)お目覚めになって、ひどく久しぶりになってしまったことだ、ああ、(今頃は)この月を見ているだろうよ、誰か(ほかの男)が来ているだろうか、とお思いになるが、
例の童ばかりを御供にておはしまして、門かどをたたかせ給たまふに、女、目を覚まして、よろづ思ひ続け臥ふしたるほどなりけり。
いつものように小舎人童だけをお供として(連れて、女の家に)おいでになって、(童に)門をたたかせなさると、女は、目を覚ましていて、さまざまのことを思い続けながら横になっている時であった
すべてこのごろは、折からにや、もの心細く、常よりもあはれにおぼえて、ながめてぞありける。
総じてこの頃は、(秋の終わりという)時だからであろうか、なんとなく心細く、いつもよりしみじみと思われて、物思いにふけっていたのであった。
あやし、誰たれならむと思ひて、前なる人を起こして問はせむとすれど、とみにも起きず。
おかしい、誰だろうと思って、(自分の)前に(寝て)いる侍女を起こして尋ねさせようとするけれど、すぐには目を覚まさない。
からうじて起こしても、ここかしこの物に当たり騒ぐほどに、たたきやみぬ。
やっとのことで起こしても、あちこちの物にぶつかり慌て騒ぐうちに、(門を)たたくのがやんでしまった。
帰りぬるにやあらむ、いぎたなしと思されぬるにこそ、もの思はぬさまなれ、同じ心にまだ寝ざりける人かな、誰ならむ、と思ふ。
帰ってしまったのだろうか、(私のことを)寝坊だとお思いになってしまったのだ、(いかにも)物思いのない女のようだ、(それにしても私と)同じ思いでまだ寝なかった人なのだなあ、誰だろう、と思う。
からうじて起きて、「人もなかりけり。そら耳をこそ聞きおはさうじて、夜のほどろに惑はかさるる。騒がしの殿のおもとたちや。」とて、また寝ぬ。
(召し使いの男が)やっと起きて、「誰もいないことよ。幻聴をお聞きになって、夜中に混乱させなさる。人騒がせなお屋敷の女房方だなあ。」と言って、再び寝てしまった。
女は寝で、やがて明かしっ。
女は寝ないで、そのまま夜を明かした。
いみじう霧きりたる空をながめつつ、明かくなりぬれば、この暁起きのほどのことどもを、ものに書きつくるほどにぞ、例の御文ある。
ひどく霧が立ち込めている空をぼんやりと眺めながら、明るくなってきたので、この夜明け前に起きた時のこと(思い)などを、紙に書き付けているところに、いつものようにお手紙がある。
ただかくぞ、
ただこのように(書いてあった)、
秋の夜の有明の月の入るまでにやすらひかねて帰りにしかな
秋の夜の有明の月が沈んで朝になるまで、じっと外にたたずんでいることもできなくて、帰ってしまいましたよ。
いでやげに、いかに口惜しきものに思しつらむ、と思ふよりも、なほ折ふしは過ぐし給はずかし、げにあはれなりつる空の気色を見給ひける、と思ふに、
(女は)いやもう本当に、(帥宮様が自分のことを)どんなにかつまらない女にお思いになったであろう、と思うと同時に、(帥宮様は)やはりその時々(の情趣)はお見逃しにならなかったのだよ、本当にしみじみと風情のある空の情景をご覧になったのだなあ、と思うと、
をかしうて、この手習ひのやうに書きゐたるを、やがて引き結びて奉る。
興味深くて、この(先ほど)手習いのように(思いつくまま)書いていたのを、そのまま(すぐに)結び文にして(帥宮様に)差し上げる。
出典
有明ありあけの月に
参考
「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 2部」あすとろ出版