「芭蕉:吉野の花」の現代語訳(口語訳)

「芭蕉:富士川」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。

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「芭蕉:富士川」の現代語訳

 芭蕉は、貞享四年〔一六八七〕冬、再び江戸を立ち、故郷である伊賀上野いがうえの(今の三重県伊賀市)へ向かった。途中、門人杜国とこく〔?―一六九〇〕を三河国みかわのくに保美ほび(今の愛知県田原たはら市)に訪ね、郷里で越年、翌春は杜国とともに吉野の花を見に出かけた。

 弥生やよひ半ば過ぐるほど、そぞろに浮き立つ心の花の、我を導く枝折しをりとなりて、
陰暦三月半ばを過ぎる頃、わけもなく浮き立ってくる風雅を愛する心が、私を(旅に)誘い出す道案内となって、

吉野の花に思ひ立たんとするに、かの伊良湖崎いらござきにて契り置きし人の伊勢いせにて出でむかひ、
吉野山の花見に出かけようとする時に、あの伊良湖崎で(いっしょに花見をしようと)約束しておいた人(杜国)が伊勢で(私を)出迎え、

ともに旅寝のあはれをも見、かつはわがために童子となりて、道のたよりにもならんと、自ら万菊丸まんぎくまると名をいふ。
いっしょに旅情をも味わい、また一方では私のために(身の回りの世話をする)召し使いの少年役となって、道中の手助けにもなろうと、自分から万菊丸と(仮の)名前を付ける。

まことに童らしき名のさま、いと興あり。
いかにも少年らしい(その)名の様子が、とてもおもしろい。

いでや門出のたはぶれごとせんと、笠かさの内に落書きす。
さあ旅立ち(に際して)のちょっとした遊びをしようと、笠の内側に落書きをする。

    乾坤無住けんこんむぢゆう、同行二人どうぎやうににん
天地の間、一つ所にとどまることなく、ともに二人で修行を続ける、

  吉野にて桜見せうぞ檜笠ひのきがさ
(花の名所の)吉野山で、桜を見せてやろうぞ、檜笠よ。

  吉野にて我も見せうぞ檜笠               万菊丸
(花の名所の)吉野山で、私も(桜を)見せてやろうぞ、(私の)檜笠よ。

 吉野の花に三日とどまりて、曙あけぼの、黄昏たそかれの気色にむかひ、有明ありあけの月のあはれなるさまなど、 吉野山の花盛りに三日滞在して、明け方や、夕方の情景に向き合い、有明の月のしみじみとして風情がある様子などが、

心に迫り胸に満ちて、あるは摂政公せつしやうこうの詠ながめに奪はれ、西行の枝折に迷ひ、
心に迫り胸がいっぱいになって、あるいは摂政公の和歌に(心を)引きつけられ、(また)西行の「枝折」の和歌に(心が)迷い、

かの貞室ていしつが「これはこれは」とうちなぐりたるに、我言はん言葉もなくて、いたづらに口を閉ぢたる、いと口惜し。
(さらには)あの貞室が「これはこれは」と即興的に詠んだ句に(圧倒されて)、私は言うような言葉(詠もうとする一句)もなくて、むなしく口を閉じて(言葉も出ず、一句も詠めずに)いたのは、とても残念である。

思ひ立ちたる風流いかめしく侍はべれども、ここに至りて無興ぶきようのことなり。
(花の吉野で一句をと)決意し(て出かけてき)た風流(の心)はりっぱ(なもの)でしたが、こうなっては興ざめなことである。

【笈おひの小文】

出典

吉野よしのの花

参考

「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 2部」あすとろ出版

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