「世間胸算用:小判は寝姿の夢」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。
「世間胸算用:小判は寝姿の夢」の現代語訳
「夢にも身過ぎのことを忘るな。」と、これ長者の言葉なり。
「夢の中でも暮らしのことを忘れるな。」と、これは長者の言葉である。
思ふことを必ず夢に見るに、うれしきことあり、悲しき時あり、さまざまの中に、銀かね拾ふ夢はさもしきところあり。
思うことを必ず夢に見るものであるが、(その夢も)うれしいことがあり、悲しい時があり、さまざまある中に、金を拾う夢にはあさましいところがある。
今の世に落とする人はなし。
今の世の中で金を落とす人はいない。
それぞれに命と思うて、大事に懸くることぞかし。
それぞれに(金は)命だと思って、大事にしているのである。
いかないかな、万日回向まんにちゑかうの果てたる場にはにも、天満祭てんままつりの明くる日も、銭が一文いちもん落ちてなし。
とてもとても、万日回向の終わった寺の境内でも、天満祭の翌日でも、銭が一文(だって)落ちてはいない。
とかくわがはたらきならでは出ることなし。
とにかく自分の働きによらないでは金が出てくることはない。
さる貧者、世のかせぎはほかになし、一足とびに分限になることを思ひ、この前江戸にありし時、
ある貧乏人が、世間一般の仕事はうち捨てて顧みないで、一足飛びに大金持ちになることを考え、以前江戸に住んでいた時、
駿河するが町見世みせに、裸銀はだかがね、山のごとくなるを見しこと、今に忘れず、
駿河町の(両替屋の)店先に、紙に包んでいない銀貨が、山のよう(に積ん)であったのを見たことを、いまだに忘れないで、
「あはれ、今年の暮れに、その銀の塊欲しや。敷革の上に新小判が、我らが寝姿ほどありし。」と、
「ああ、今年の暮れに、その銀貨の塊が欲しいものだ。毛皮の敷物の上に新小判が、俺の寝袋ほどもあった。」と、
一心に余のことなしに、紙衾かみぶすまの上に臥ふしける。
一心にほかのことは考えないで(そのことばかり思いつめ)紙製の粗末な布団の上に寝た。
ころは十二月晦日つごもりのあけぼのに、女房はひとり目覚めて、
頃は十二月の晦日の明け方で、女房は一人目覚めていて、
「今日の日、いかにたて難し。」と、身代しんだいの取り置きを案じ、
「今日一日、どうやっても暮らしが立てられない。」と、家計のやりくりを思案し、
窓より東明かりのさす方かた見れば、何かは知らず、
窓から明け方の光が差し込む(ので、その)方を見ると、なぜかは分からないが、
小判一塊、「これはしたり、これはしたり。天の与へ。」とうれしく、
小判が一塊(見えたので)、「これはしめた、これはしめた。天のお恵み。」とうれしくなって、
「こちの人、こちの人。」と呼び起こしければ、
「おまえさん、おまえさん。」と(夫を)呼び起こすと、
「何ぞ。」と言ふ声の下より、小判は消えてなかりき。
「何だ。」と言う(夫の)声と同時に、小判は消えうせてしまった。
「さても惜しや。」と悔やみ、男にこのことを語れば、
「ほんとにまあ惜しいこと。」と残念がり、夫にこのことを語ると、
「我江戸で見し金子きんす、欲しや欲しやと思ひ込みし一念、しばし小判現れしぞ。今の悲しさならば、たとへ後世ごせは取りはづし、奈落ならくへ沈むとも、佐夜さよの中山にありし無間むげんの鐘を撞つきてなりとも、まづこの世を助かりたし。目前に福人は極楽、貧者は地獄、釜の下へ焚たくものさへあらず。さても悲しき年の暮れや。」と、
「俺が江戸で見た金を、欲しい欲しいと思い込んだ一念が、(寝ている間に)しばらくの間小判となって現れたのだ。今の貧しさならば、たとえ来世は極楽往生ができず、地獄へ落ちても、佐夜の中山にあった無間の鐘を撞いてでも、まずこの世を助かりたい。この世で現に金持ちは極楽、貧乏人は地獄(の生活)で、釜の下へ焚く物さえもない。それにしてもみじめな年の暮れだよ。」と、
我と悪心起これば、魂入れ替はり、少しまどろむうちに、黒白こくびやくの鬼、車をとどろかし、あの世この世の境を見せける。
自然と悪心が起こると、(善悪の)魂が入れ替わって、少しうとうととするうちに、地獄の黒白の鬼が、火の車をとどろかせて(訪れ)、生きながら死後の地獄の恐ろしいありさまを見せた。
女房このありさまをなほ嘆き、わが男に教訓して、
女房はこのありさまを(見て)ますます嘆き、自分の夫に意見して、
「世に誰たれか百まで生きる人なし。しかればよしなき願ひすること、おろかなり。互ひの心変はらずは、行く末にめでたく年も取るべし。わが手前を思おぼし召して、さぞ口惜しかるべし。されどもこのままありては、三人ともに渇命におよべば、一人あるせがれが後々のためにもよし。奉公の口あるこそ幸ひなれ。何とぞあれを手にかけて育て給たまはば、末の楽しみ、捨つるはむごいことなれば、ひとへに頼みます。」と涙をこぼせば、
「世の中に百歳まで生きる人(がいましょうか、そんな人)は誰一人いません。ですからつまらない願い事をするのは、愚かなことです。お互いの心さえ変わらずにいれば、将来はめでたく新年を迎えることもできましょう。(女房である)私の手前をお思いになって、さぞ悔しいことでしょう。けれどもこのままでいては、(親子)三人とも飢え死にしてしまいますから、一人いる子どもの後々のためにもよいことです。奉公の口があるのが幸いです。どうかあの子を自分の手で大切に育ててくだされば、将来の楽しみ(にもなります)、捨てるのはむごいことですから、ぜひともお願いします。」と涙をこぼすので、
男の身にしては悲しく、とかうの言葉もなく、目をふさぎ、女房顔を見ぬところへ、
男の身としては悲しく、あれこれの返事もせず、目をつむり、女房の顔を見ないでいるところに、
墨染すみぞめあたりにゐる人置きの嚊かかが、六十あまりの婆ばばさまを連れ立ち来て、
黒染町辺りに住む人置きの嚊が、六十歳余りの婆さまをいっしょに連れて来て、
「昨日も申すとほり、こなたは乳ちぶくろもよいによつて、がらりに八十五匁もんめ、四度の御仕着おしきせまで、かたじけないことと思はしやれ。雲つくやうな飯炊きが、布まで織りまして、半季が三十二匁、何ごとも乳の蔭かげぢやと思はしやれ。また、こなたがいやなれば、京町きやうまちの上かみにも見立てておきました。今日のことなれば、またといふことはならぬ。」と言ふ。
「昨日も申したように、あなたは乳の出もよいので、すっかり八十五匁(の給金を前払いし)、四季ごとのお仕着せまで(支給します)、ありがたいことと思いなされ。見上げるような(大女の)飯炊きが、布まで織って、半季(の給金)が三十二匁、全て乳の(出のよい)おかげだと思いなされ。また、あなたが嫌ならば、(代わりの人を)京町の北にも見立てておきました。今日中に決めなくてはならないことだから、また(後で返事をする)というわけにはいきません。」と言う。