「源氏物語:須磨の秋・心づくしの秋風〜前編〜」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。
また、後編は「源氏物語:須磨の秋・心づくしの秋風〜後編〜」の現代語訳(口語訳)になります。
「源氏物語:須磨の秋・心づくしの秋風〜前編〜」の現代語訳(口語訳)
葵あおいの上うえの死後、光源氏ひかるげんじは成長した若紫わかむらさきと結婚し、若紫は紫むらさきの上うえと呼ばれるようになる。
しかし、光源氏をめぐる状況は厳しく、桐壺きりつぼの院いんの崩御ほうぎょにより政情が一変すると、帝みかど(後の朱雀院すざくいん)を擁する弘徽殿こきでんの大后おおきさきとその父右大臣が権勢をふるうようになり、藤壺ふじつぼの宮も出家した。
光源氏は、宮仕えの予定されている右大臣の六の君(朧月夜おぼろづきよの尚侍ないしのかみ)とふと巡り合い、逢瀬おうせを重ねるうちに右大臣に気づかれ、ついに官位を取り上げられた。
謀反の罪をかぶせられることを恐れた光源氏は、都を離れて須磨で謹慎の生活を送ることにする。 *光源氏二十六歳の時のことである。 *
須磨には、いとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、行平ゆきひらの中納言の、関吹き越ゆると言ひけむ浦波、夜々よるよるはげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。
須磨では、いっそう物思いを誘う秋風によって、海は少し遠いけれども、行平の中納言が、「関吹き越ゆる」と詠んだという浦風に砕ける波の音が、なるほど(行平が詠んだとおり)夜ごとにすぐ近くに聞こえて、またとなくしみじみと心にしみるものは、こういう土地の秋なのであった。
御前おまへにいと人少ずくなにて、うち休みわたれるに、独り目をさまして、枕をそばだてて四方よもの嵐を聞き給たまふに、波ただここもとに立ちくる心地して、涙落つともおぼえぬに枕浮くばかりになりにけり。
御前に(お仕えする)人も本当に少なくて、(その供人たちも)みな寝静まっている時に、(光源氏は)ひとり目を覚まして、枕を立てて顔を持ち上げ(耳を澄ませて)、四方の(激しい)嵐の音をお聞きになっていると、波がただもうすぐそばまで打ち寄せてくるような心持ちがして、涙がこぼれているとも気がつかないのに、(涙のために)枕が浮くほどになってしまうのだった。
琴きんを少し掻かき鳴らし給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさし給ひて、
琴を少しかき鳴らしなさったが(その音が)、我ながらとてももの寂しく聞こえるので、途中で弾くのをおやめになって、
光源氏 恋ひわびてなく音ねにまがふ浦波は思ふかたより風や吹くらむ
恋しさに堪えかねて泣く声によく似ている浦波の音は、私のことを恋しく思っている人たちのいる都の方角から風が吹いてくるから(そのように聞こえるの)であろうか。
とうたひ給へるに、人々おどろきて、めでたうおぼゆるに忍ばれで、あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみわたす。
とお歌いになっていると、供人たちは目覚めて、すばらしい(お声)と思うにつけても(悲しさや寂しさを)こらえきれず、わけもなく起き直っては、(涙に詰まる)鼻をおのおのそっとかむのである。
出典
須磨すまの秋
参考
「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 2部」あすとろ出版