大きな痛手を負った倭建命は、そのまま重い足を引きずり杖つえをついて、美濃みのの国から伊勢いせの国の尾津おつ、三重にたどり着く。ふるさと大和はもう目前である。
そこより出でまして、能煩野のぼのに到りし時に、国を思しのひて、歌ひて言はく、
そこから(更に都へ向かって)お進みになって、能煩野に着いた時に、(倭建命が)故郷(の大和)をしのんで、歌って言うことには、
倭は 国のまほろば たたなづく 青垣あをかき 山籠やまごもれる 倭しうるはし
大和は、国々の中で最も優れた場所だ。幾重にも畳まり重なる青々とした生垣のような周囲の山々、その山々に包み込まれている大和こそ、ほんとうに美しい国だ。
また、歌ひて言はく、
また、歌って言うことには、
命の 全またけむ人は たたみこも 平群へぐりの山の 熊樫くまかしが葉を 髻華うずに挿せ その子
命が無事であろう人は、平群の山に生えた大きい樫の葉をかんざしとして挿しなさい。おまえたちよ。
この歌は、思国歌くにしのひうたそ。
この(二首の)歌は、故郷をしのび讃える歌である。
また、歌ひて言はく、
また、歌って言うことには、
愛はしけやし 我家わぎへの方よ 雲居くもゐ立ち来も
懐かしいことよ。わが家の方から雲がこちらへ立ち上ってくるよ。
これは、片歌かたうたそ。
これは、片歌である。
この時に、御病みやまひ、いとにはかなり。
この時、(倭建命は)ご病状が、急変して危篤状態になった。
しかくして、御歌に言はく、
そうして、御歌で言ったことには、
をとめの 床とこの辺べに わが置きし 剣の大刀たち その大刀はや
乙女の床の辺りに私が置いてきた剣の大刀、ああ、その大刀よ。
歌ひ終はりて、すなはち崩さりましき。
歌い終わって、すぐにお亡くなりになった。
しかくして、駅使はゆまのつかひを奉りき。
それで、(従者たちは、倭建命の死を報告する)早馬使いを(朝廷に)差し上げた。
ここに、倭に坐しし后たちと御子たちと、もろもろ下り到りて、御陵を作りて、すなはち、そこのなづき田たを腹這ばひ廻めぐりて哭なき、歌詠みして言はく、
そこで、大和にいらっしゃった后たちと御子たちとが、みな(能煩野に)下向してきて、御陵を作り、そのまま、その地の水に漬かっている田を這い回って泣き、歌を詠んで言うことには、
なづきの田の 稲幹いながらに 稲幹に 這ひ廻もとほろふ 野老蔓ところづら
水に漬かった田の稲の茎に這い回っている野老のつる(のように、私たちは悲嘆のあまり地を這い回る)よ。
ここに、八尋やひろの白しろち鳥と化り、天あめに翔かけりて、浜に向かひて飛び行きき。
そこで、(倭建命は)大きな白鳥に化身して、天空に舞い上がって、浜辺に向かって飛んでいった。
しかくして、その后と御子たちと、その小竹しのの刈杙かりくひに、足を切り破れども、その痛みを忘れて、哭き追ひき。
そこで、その后と御子たちとは、そこの篠竹の切り株で、足を傷つけたけれども、その痛みを忘れて、泣きながら(白鳥を)追いかけた。
かれ、その国より飛び翔り行きて、河内国かふちのくにの志幾しきに留とどまりき。
さて、(白鳥は)その国から空高く飛んでいって、河内国の志畿にとどまった。
かれ、そこに御陵を作りて鎮め坐せき。
それで、そこに御陵を作って(倭建命の御霊が)鎮まっていらっしゃるようにさせた。
すなはち、その御陵を名付けて白鳥しらとりの御陵みさざきといふ。
そこで、その御陵を名付けて白鳥の御陵という。
しかれども、また、そこよりさらに天に翔りて飛び行きき。
ところが、(白鳥は)また、そこから更に天空に舞い上がって飛んでいってしまった。
脚注
- 国造 その国を領していた豪族。古代、世襲によって国を統治していた地方官。
- 草を刈り払ひ (安全地帯を作るため)自分の周囲の草を刈り払い。
- 向かひ火 向こうから燃えてくる火を防ぐために、こちらからつけた火。
- 走水の海 今の浦賀うらが水道。
- 渡りの神 渡し場や海峡などの神。
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菅畳八重 「菅畳」は、菅すげの敷物。「八重」は、幾枚も重ねること。
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蝦夷 東部日本に住み、中央の命令に服さなかった人々。
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粮 乾飯かれいい。干して固くした携行用の飯。水や湯で戻して食べる。
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酒折の宮 「酒折」は、今の山梨県甲府市にある地名。
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新治 筑波 ともに今の茨城県にある地名。
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御火焼 夜警のためにかがり火をたく役。
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たたなづく 幾重にも畳まり重なる。山々の重なり合っているさまをいう。
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青垣 大和の山々を、青々と茂る垣根そのものと見た表現。
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髻華 髪や冠に挿す飾り。かんざし。
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思国歌 故郷をしのび讃たたえる歌。
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片歌 旋頭歌せどうかの半分にあたる五・七・七から成る歌。
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駅使 早馬使い。宿駅の馬を乗り継いで急行する使者。
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なづき田 水に漬かっている田。
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稲幹 稲の茎。
- 野老蔓 野老(ヤマノイモの一種)のつる。
- 八尋の白ち鳥 大きな白鳥。「白ち鳥」は一説に「白い千鳥」とも。「尋」は、長さの単位で、両手を左右に広げた長さをいう。
- 小竹の刈杙 篠竹しのだけの切り株。
出典
倭建命やまとたけるのみこと
参考
「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 1部」あすとろ出版