「平家物語 :木曾の最期・巴との別れ〜前編〜」の現代語訳(口語訳)

「平家物語:木曾の最期・巴との別れ(木曾左馬頭(義仲)、その日の装束としては〜)〜前編〜」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。

また、後編は「平家物語:木曾の最期・巴との別れ〜後編〜」の現代語訳(口語訳)になります。

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「平家物語 :木曾の最期・巴との別れ(木曾左馬頭(義仲)、その日の装束としては〜)〜前編〜」の現代語訳

  木曾で挙兵した源義仲(木曾義仲)は、一一八三(寿永じゅえい二)年に平家を打ち破って入京した。 しかし、その粗暴なふるまいゆえに都の人々の反感を買い、彼を重用しようとした後白河法皇も源頼朝よりともに義仲追討の命を下した。 そこで頼朝は弟である源範頼のりより・源義経よしつねを討伐軍として、京に差し向けた。 翌年一月、討伐軍との戦いに敗れ、辛うじて京を脱出した義仲は、今井四郎兼平いまいのしろうかねひらと大津打出うちでの浜で合流、残った三百余騎で最後の合戦に臨むのであった。

 木曾左馬頭さまのかみ、その日の装束には、赤地の錦にしきの直垂ひたたれに唐綾縅からあやをどしの鎧よろひ着て、
木曾左馬頭(義仲)、その日の装束としては、赤地の錦の直垂に唐綾縅の鎧を着て、

鍬形くはがた打つたる甲かぶとの緒締め、厳物いかものづくりの大太刀おほだちはき、石打ちの矢の、その日のいくさに射て少々残つたるを、
鍬形を打ちつけた甲の緒を締め、いかめしく立派に見えるように造った太刀を腰につけ、石打ちの矢で、その日の合戦に射て少々残ったのを、

頭高かしらだかに負ひなし、滋籐しげどうの弓持つて、聞こゆる木曾の鬼葦毛おにあしげといふ馬の、きはめて太うたくましいに、金覆輪きんぷくりんの鞍くら置いてぞ乗つたりける。
(箙に差した矢の先端が)頭より高く突き出るように背負い、滋籐の弓を持って、有名な木曾の鬼葦毛という馬で、非常に太くたくましいのに、金で縁取りした鞍を置いて乗っていた。

あぶみ踏んばり立ちあがり、大音声だいおんじやうを挙げて名のりけるは、
**鐙を踏んばって立ちあがり、大声をあげて名のったことには、

「昔は聞きけんものを、木曾の冠者くわんじや、今は見るらん、左馬頭兼伊予守いよのかみ、朝日の将軍源義仲ぞや。甲斐かひの一条次郎いちでうのじらうとこそ聞け。互ひによい敵かたきぞ。義仲討つて、兵衛佐ひやうゑのすけに見せよや。」とて、をめいて駆く。
「以前は(うわさに)聞いたであろう、木曾の冠者(という者を)、(そして)今は(目の前に)見るであろう、(われこそは)左馬頭兼伊予守、朝日の将軍源義仲であるぞ。(そこにいるのは)甲斐の一条次郎と聞く。互いに不足がない敵だ。義仲を討って、兵衛佐(頼朝)に見せよ。」と言って、大声で叫んで馬を走らせる。

一条次郎、「ただ今名のるは大将軍たいしやうぐんぞ。あますな者ども、もらすな若党、討てや。」とて、大勢の中に取りこめて、われ討つ取らんとぞ進みける。
一条次郎は、「今名のったのは大将軍だぞ。残らず討ち取れ者ども、討ちもらすな若党、討てよ。」と言って、(義仲を)大勢の中に取り囲んで、自分こそ討ち取ろうと進んだ。

木曾三百余騎、六千余騎が中を、縦様たてさま・横様よこさま・蜘蛛手くもで・十文字に駆け割つて、後ろへつつと出でたれば、五十騎ばかりになりにけり。
木曾(の軍勢)三百騎は、(敵の)六千騎の中を、縦に、横に、四方八方に、十文字に駆け破って、(敵の)後ろへつっと出ると、(味方は)五十騎ほどになってしまった。

そこを破つて行くほどに、土肥次郎実平とひのじらうさねひら、二千余騎でささへたり。
そこ(の敵)を破って行くうちに、土肥次郎実平が、二千余騎で(行く手を)阻んでいた。

それをも破つて行くほどに、あそこでは四、五百騎、ここでは二、三百騎、百四、五十騎、百騎ばかりが中を駆け割り駆け割り行くほどに、主従五騎ほどにぞなりにける。
それをも破って行くうちに、あそこでは四、五百騎、ここでは二、三百騎、百四、五十騎、百騎ほどの中を駆け破り、駆け破り行くうちに、(木曾勢は)主従五騎になってしまった。

五騎がうちまで巴ともゑは討たれざりけり。
(その)五騎が中まで巴は討たれなかった。

木曾殿、「おのれは疾う疾う、女なれば、いづちへも行け。われは討ち死にせんと思ふなり。もし人手にかからば自害をせんずれば、木曾殿の最後のいくさに、女を具せられたりけりなんど言はれんことも、しかるべからず。」とのたまひけれども、 木曾殿は「おまえは早く早く、女だから、どこへでも(落ちて)行け。自分は討ち死にしようと思うのだ。もし人手にかかるならば自害をしようと思っているので、木曾殿が最後の戦いに、女を連れておられたなどと(人から)言われるようなことも、よろしくない。」とおっしゃったけれども、

なほ落ちも行かざりけるが、あまりに言はれ奉つて、「あつぱれ、よからう敵がな。最後のいくさして見せ奉らん。」とて、控へたるところに、武蔵むさしの国に聞こえたる大力だいぢから、御田八郎師重おんだのはちらうもろしげ、三十騎ばかりで出で来たり。
(巴は)それでも落ちて行かなかったが、あまりに何度も言われ申して、「ああ、不足のない敵がいるといいなあ。(そうしたら)最後の戦いをして(義仲殿に)お見せ申しあげよう。」と言って、馬を引きとめ待機しているところに、武蔵の国で有名な大力の、御田八郎師重が、三十騎ほどで出て来た。

巴、その中へ駆け入り、御田八郎に押し並べて、むずと取つて引き落とし、わが乗つたる鞍くらの前輪まへわに押しつけて、ちつともはたらかさず、首ねぢ切つて捨ててんげり。
巴は、その中へ駆け入り、御田八郎(の馬)に(自分の)馬を並べて、(御田を)むんずとつかんで(馬から)引き落とし、自分の乗った鞍の前輪に押しつけて、少しも身動きさせず、首をねじ切って捨ててしまった。

そののち、物具もののぐ脱ぎ捨て、東国の方へ落ちぞ行く。
(巴は)その後、(鎧、甲などの)武具を脱ぎ捨て、東国の方へ落ち延びていく。

手塚太郎てづかのたらう討ち死にす。
手塚太郎は討ち死にする。

手塚別当落ちにけり。
手塚の別当は落ち延びていった。

(巻九)

脚注

  • 錦の直垂 「錦」は金銀色の糸を織り込んだ華麗な絹織物。
  • 鍬形 甲の正面に付けられた二本の角のような金属製の飾り。
  • 鬼葦毛 「葦毛」は馬の毛色で、白い毛に黒色・濃褐色などの毛が混じったもの
  • 冠者 元服して冠を着けた若者。
出典

平家物語

参考

「国語総合(古典編)」三省堂
「教科書ガイド国語総合(古典編)三省堂版」文研出版

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