「枕草子:中納言参り給ひて」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。
「枕草子:中納言参り給ひて」の現代語訳(口語訳)
中納言参り給ひて、御おほん扇奉らせ給ふに、
中納言(隆家様)が参上なさって、(中宮様に)御扇を差し上げなさる時に、
「隆家たかいへこそいみじき骨は得て侍はべれ。それを、張らせて参らせむとするに、おぼろけの紙はえ張るまじければ、求め侍るなり。」と申し給ふ。
「(この)隆家はすばらしい(扇の)骨を手に入れております。それに、(紙を)張らせて献上しようと思っておりますが、ありふれた紙は(不釣り合いで)張ることができませんので、(その骨にふさわしい上等の紙を)探しております。」と申し上げなさる。
「いかやうにかある。」と問ひ聞こえさせ給へば、
(中宮様が)「(その骨は)どんな様子ですか。」とお尋ね申し上げなさると、
「すべていみじう侍り。『さらにまだ見ぬ骨のさまなり。』となむ人々申す。まことにかばかりのは見えざりつ。」と言こと高くのたまへば、
(中納言は)「何から何までたいそうすばらしゅうございます。『全くまだ見たこともない骨のさまだ。』と人々が申します。ほんとうにこれほどの骨は見たことがありません。」と声高く(得意そうに)おっしゃるので、
「さては、扇のにはあらで、くらげのななり。」と聞こゆれば、
(私が)「それでは、扇の骨ではなくて、くらげの骨のようですね。」と申し上げると、
「これは隆家が言にしてむ。」とて、笑ひ給ふ。
(中納言は)「これは(この)隆家の(言った)言葉としてしまおう。(実にすばらしいしゃれだ。)」と言って、お笑いになる。
かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、「一つな落としそ。」と言へば、いかがはせむ。
このようなことは、苦々しいことの中に入れてしまうべきだけれども、「一つなりとも書き落とすな。」と(人々が)言うので、どうしようもない(ので、書き記す)。
【第九十八段】
脚注
- 中納言 藤原隆家ふじわらのたかいえ(九七九~一〇四四)。中宮定子ていしの同母弟。
- 骨 ここでは扇の骨のこと。
出典
中納言参り給たまひて
参考
「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 1部」あすとろ出版