「源氏物語:車争ひ(斎宮の御母御息所)〜後編〜」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。
また、前編は「源氏物語:車争ひ(大殿には、かやうの御歩きもをさを〜)〜前編〜」の現代語訳(口語訳)になります。
「源氏物語:車争ひ(斎宮の御母御息所)〜後編〜」の現代語訳(口語訳)
斎宮の御母御息所、もの思し乱るる慰めにもやと、忍びて出で給へるなりけり。
(その車は)斎宮の御母の御息所が、物思いに乱れていらっしゃるお気持ちの慰めにでもなろうかと、人目につかないようにしてお出かけになっている車であったのだ。
つれなしづくれど、おのづから見知りぬ。
(素性を隠して)なにげないふりを装っているが、(葵の上方は)自然と(御息所と)分かってしまった。
葵の上方かた「さばかりにては、さな言はせそ。大将殿をぞ豪家がうけには思ひ聞こゆらむ。」など言ふを、
(葵の上方の供人が)「その程度の立場(身分)であっては、そのように言わせるな。大将殿(光源氏)を頼みに思い申し上げて(ご威光をお借り申し上げて)いるのであろう。」などと言うのを、
その御方の人もまじれれば、
(この葵の上の供人の中には)そのお方の人(大将家に仕える人)も交じっているので、
いとほしと見ながら、用意せむもわづらはしければ、知らず顔をつくる。
(御息所を)気の毒と思いながらも、(事を荒立てないように)気を遣うのも面倒なので、知らぬ顔をしている。
つひに御車ども立て続けつれば、副車ひとだまひの奥に押しやられてものも見えず。
とうとう(葵の上方が御息所の車を押しのけて)お車の列を立て並べてしまったので、(御息所の車は葵の上の)お供の女房が乗る車の奥に押しやられて何も見えない。
心やましきをばさるものにて、かかるやつれをそれと知られぬるが、いみじうねたきこと限りなし。
(御息所は)不愉快なのは言うまでもないとして、このような人目を忍ぶ姿をはっきりと知られてしまったことが、ひどく残念であることこのうえない。
榻しぢなどもみな押し折られて、すずろなる車の筒どうにうちかけたれば、またなう人わろく、悔しう、何に来つらむと思ふにかひなし。
榻などもみな押し折られて、(轅は)何ということもない車の轂に掛けてあるので、またとなく体裁が悪く、悔しくて、何のために来てしまったのだろうと思うが(、今になって悔やんでも)無駄である。
ものも見で帰らむとし給へど、通り出でむ隙もなきに、「事なりぬ。」と言へば、さすがにつらき人の御前渡りの待たるるも心弱しや。
(御息所は)御禊の行列を見ないで帰ろうとなさるけれど、通り抜け出るすきまもないうちに、「御禊の行列が来た。」と言うので、(帰ろうとは思ったものの)やはり、薄情な人(光源氏)のお通りが自然に待たれるのも女心の弱さというものだよ。
笹ささの隈くまにだにあらねばにや、つれなく過ぎ給ふにつけても、なかなか御心づくしなり。
(ここは、歌に詠まれた)「笹の隈」でさえもないからだろうか、(光源氏が馬もとめずに)すげなく通り過ぎなさるにつけても、(なまじお姿を見ただけに)かえって御物思いが深まるのである。
げに、常よりも好みととのへたる車どもの、我も我もと乗りこぼれたる下簾の隙間すきまどもも、さらぬ顔なれど、ほほ笑みつつ後目しりめにとどめ給ふもあり。
なるほど(評判どおり)、例年よりも趣向をこらした数々の車の、我も我もとこぼれるほどたくさん乗っている(女たちの出だし衣がこぼれ出ている)下簾のすきまに対しても、(光源氏は、どんな女性が乗っているかと気にもとめず、)なにくわぬ顔でいるが、ほほ笑みながら横目でご覧になることもある。
大殿のはしるければ、まめだちて渡り給ふ。
左大臣の姫君(葵の上)の車はそれとはっきり分かるので、(光源氏は)まじめな様子をして前をお通りになる。
御供の人々うちかしこまり、心ばへありつつ渡るを、おし消たれたるありさま、こよなう思さる。
(行列の中にいる光源氏の)従者たちも(葵の上の車の前は)威儀を正し、敬意を表しながら通り過ぎるので、(御息所は葵の上に)圧倒されている(自分の)姿を、このうえなく(みじめに)お思いになる。
御息所 影をのみみたらし川のつれなきに身のうきほどぞいとど知らるる
影を見せただけで流れ去る御手洗川の(ようなあなたの)薄情さに、(そのお姿を遠くから見ただけの)わが身のつらさが、いよいよ身にしみて分かってきます。
と涙のこぼるるを、人の見るもはしたなけれど、目もあやなる御さまかたちのいとどしう出で映ばえを、見ざらましかばと思さる。
と(嘆きの歌を詠んで)涙がこぼれるのを、(車に同乗している)女房が見るのも体裁の悪いことだけれども、まぶしいほどりっぱな(光源氏の)お姿や容貌が(晴れの場で)いっそう映えて見えるのを、見なかったならば(どんなに心残りであっただろう)とお思いになる。
【葵】
六条の御息所はあからさまに嫉妬する人ではなかったが、この事件をきっかけとして物思いをますます募らせた末、無意識のうちに生霊いきりょうとなり、長男夕霧ゆうぎりの出産で弱っていた葵の上を取り殺してしまう。
脚注
- 雑々の人なき隙 身分の低い者が交じっていない場所。
- 網代 網代あじろ車。
- 汗衫 童女が正装する時、表着うわぎの上に着る衣服。
- 御前 御前駆ごぜんくの略。(葵の上の)先払い。
- 豪家 頼みとするところ。威光を借りること。
- 副車 (葵の上の)お供の女房が乗る車。
- 榻 車の轅ながえを載せる台。乗り降りの際の踏み台としても用いた。
- 筒 車の轂こしき(車軸受け)。
出典
車争ひ
参考
「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 2部」あすとろ出版