「源氏物語:若紫・北山の垣間見(尼君、髪をかき撫でつつ〜)〜後編〜」の現代語訳になります。学校の授業の予習復習にご活用ください。
また、前編は「源氏物語:若紫・北山の垣間見(日もいと長きに、つれづれなれば〜)〜前編〜」の現代語訳(口語訳)になります。
「源氏物語:若紫・北山の垣間見〜後編〜」の現代語訳
尼君、髪をかき撫なでつつ、「梳けづることをうるさがり給へど、をかしの御髪みぐしや。いとはかなうものし給ふこそ、あはれに後ろめたけれ。かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを。故姫君は、十ばかりにて殿におくれ給ひしほど、いみじうものは思ひ知り給へりしぞかし。ただ今おのれ見捨て奉らば、いかで世におはせむとすらむ。」とて、
尼君は、(女の子の)髪をかきなでながら、「櫛ですくことを嫌がりなさるけれども、きれいな御髪ですこと。ほんとうにたわいもなくいらっしゃるのが、かわいそうで気がかりです。これぐらい(の年)になれば、ほんとうにこんなふう(に幼稚)でない人もありますのに。亡くなった姫君は、十歳ほどで殿(父君)に先立たれなさった頃には、とてもよくものの道理をわきまえていらっしゃいましたよ。たった今にも私が(あなたを)見捨て申し(て死んでしまっ)たならば、どうやってこの世に生きておいでになろうとするのでしょう。」と言って、
いみじく泣くを見給ふも、すずろに悲し。
ひどく泣くのをご覧になるにつけても、(光源氏は)わけもなく悲しい。
幼心地をさなごこちにも、さすがにうちまもりて、伏し目になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる髪、つやつやとめでたう見ゆ。
(女の子は)幼心にも、さすがに(しんみりして、尼君を)じっと見つめて、伏し目になってうつむいた時に、(顔に)こぼれかかってくる髪の毛が、つやつやとしてみごとに美しく見える。
生ひたたむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむそらなき
これからどこで生い立っていくのかも分からない若草のようなこの子を、後に残して消えていく露の身の私は、消えようにも消えていくところもありません。(死ぬにも死にきれませんよ。)
またゐたる大人、「げに。」とうち泣きて、
また(そこに)座っていた年配の女房が、「ごもっとも。」と泣いて、
初草の生ひゆく末も知らぬまにいかでか露の消えむとすらむ
若草の生い立っていく将来のことも分からないうちに、どうして露は消えようとするのでしょうか。(それまでは生きていらっしゃいませ。)
と聞こゆるほどに、僧都そうづあなたより来て、
と申し上げているところに、(尼君の兄の)僧都が向こうから来て、
「こなたはあらはにや侍はべらむ。今日しも端はしにおはしましけるかな。この上かみの聖の方かたに、源氏の中将の、瘧病まじなひにものし給ひけるを、ただ今なむ聞きつけ侍る。いみじう忍び給ひければ、知り侍らで、ここに侍りながら、御とぶらひにもまうでざりける。」とのたまへば、
「こちらは(外から)まる見えではございませんか。今日に限って端近においでなのですね。ここの上の聖の所に、源氏の中将が、瘧病のまじないのためにおいでになったことを、たった今聞きつけました。たいそうお忍びでおいでになったので、存じませんで、ここにおりながら、お見舞いにも参上しませんでした。」とおっしゃると、
「あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ。」とて、簾下ろしつ。
(尼君は)「まあ大変。ほんとうに見苦しいありさまを誰かが見てしまったかしら。」と言って、簾を下ろしてしまった。
「この世にののしり給ふ光源氏、かかるついでに見奉り給はむや。世を捨てたる法師の心地にも、いみじう世の憂へ忘れ、齢延よはひぶる人の御ありさまなり。いで御消息せうそこ聞こえむ。」とて立つ音すれば、帰り給ひぬ。
「世間で評判が高くていらっしゃる光源氏を、こうした機会に拝見なさいませんか。世を捨ててしまった法師の気持ちにも、すっかり人の世の悩み事を忘れ、見ただけで命が延びると思われるほどの美しい人のご容姿なのです。さあ、ご挨拶を申し上げましょう。」と言って(僧都が座を)立つ音がするので、(源氏の君は)お帰りになった。
あはれなる人を見つるかな、かかれば、このすき者どもは、かかる歩ありきをのみして、
何とも可憐な人を見たものだなあ、こうであるから、この色好みの連中は、ただもうこのような忍び歩きをして、
よくさるまじき人をも見つくるなりけり、たまさかに立ち出づるだに、かく思ひのほかなることを見るよ、とをかしう思す。
めったに見つけられないような人をもうまく見つけるというわけなのだな、たまに出かけてさえ、このように思いもかけないことを見るものだよ、とおもしろくお思いになる。
さても、いとうつくしかりつる児ちごかな、何人なにびとならむ、かの人の御代はりに、明け暮れの慰めにも見ばや、と思ふ心深う付きぬ。
それにしても、ほんとうにかわいらしい子だったなあ、どういう(素性の)人なのだろう、あのお方(=藤壺の宮)のお身代わりとして、明け暮れの心の慰めにでも見たいものだ、と思う心が(光源氏の中に)深く取り付いてしまった。
【若紫】
この少女、若紫は、藤壺の宮の姪めいで、祖母の兄に当たる僧都の坊に来ていたのであった。若紫は、間もなく祖母の尼君とも死別して、父兵部卿宮ひょうぶきょうのみやと継母ままははの北の方のもとに引き取られそうになる。それを聞いた光源氏は、若紫を盗み出すようにして自邸二条院の西の対たいに連れてきて、周囲には誰であるとも知らせずに養育することになる。
脚注
- 山吹 山吹襲がさねの上着。
- 犬君 召し使いの女の子の名。
- 伏籠 香炉や火鉢の上にかぶせ、衣服に香を焚たきしめたり暖めたりする時に 用いる、竹製の籠。ここでは、鳥籠の代用にしていた。
- 髪ざし 髪の生えぐあい。
- 僧都 僧官で、僧正の下、律師の上。ここでは、尼君の兄僧都。
出典
若紫わかむらさき
参考
「精選古典B(古文編)」東京書籍
「教科書ガイド精選古典B(古文編)東京書籍版 1部」あすとろ出版