シュメール人の活動

シューメール人 画像引用元:Wikipedia 礼拝者の像

  • ティグリス=ユーフラテス川流域で活動し、四大文明の1つであるメソポタミア文明の基礎を築いた。
  • 畑作や牧畜を行い、ウル・ウルク・ラガシュ・キシュなど人類最古の都市国家群をつくりあげた。
  • 表意文字の一種である楔形文字を創出し、最古の神話である『ギルガメシュ叙事詩』を残している。
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年号

紀元前4000頃~紀元前2000年頃

シュメール人の活動の解説

シュメール人とは

シュメール人はかつてメソポタミア地方南部に来住して活動した民族ですが、その民族系統は不明です。都市国家跡で発掘された人骨にも人種的特徴に全く一貫性がなく、様々な民族の集合体であったとも考えられます。 独自のシュメール語とそれを表記する楔形文字を持ち、高度な文明をつくりだしました。

シュメール人の文明

灌漑によって大麦やゴマ、タマネギ等を栽培し、羊・山羊・豚・牛を飼って食料としました。また、最大の都市ウルクを代表とする、城壁に囲まれた都市国家を建設し、内部には神殿ジッグラトを中心とした公共建築物が立ち並びました。彼らは楔形文字という独自の文字を作り出し、粘土板に記録を行いました。現代にはウルクの伝説的な王ギルガメシュの活躍を描いた最古の神話『ギルガメシュ叙事詩』、『ハンムラビ法典』の原型とも言うべき最古の法典群(なかでも最古のものは『ウル=ナンム法典』)を残しています。

シュメール人の衰亡

シュメール人は各都市国家ごとに独立しており、全体として統一した活動はしませんでした。そこをメソポタミア中部に興ったアッカド人の王サルゴン1世に突かれ、都市国家は解体され、アッカド王国(前2334~2154年)の成立を許すことになりました。アッカド王国滅亡後、ウルを拠点としたシュメール人の国家ウル第3王朝が成立しますが約100年後、東方からやってきたエラム人の侵入によって滅び、歴史から姿を消します。

一問一答

Q.シュメール人の作り出した世界最古の法典は何か。 A.ウル=ナンム法典

参考

平凡社「世界大百科事典 第2版」 日本文芸社「面白いほどよくわかる世界史」

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